shinmaimanaのブログ

作業療法士で左片麻痺の障がい者でもあります、両方の視点を持つからこその事が書いていければと思います。

大衆の反逆、深い内容です

NHK eテレ100分de名著が好きで毎回放送を視聴しています。

今回はオルテガの大衆の反逆以下大衆について100分de名著HPより抜粋。

 インターネットやSNSの隆盛で常に他者の動向に細心の注意を払わずにはいられなくなっている私たち現代人。自主的に判断・行動する主体性を喪失し、根無し草のように浮遊し続ける無定形で匿名な集団のことを「大衆」と呼びます。そんな大衆の問題を、今から一世紀近く前に、鋭い洞察をもって描いた一冊の本があります。「大衆の反逆」。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883 - 1955)が著した、大衆社会論の嚆矢となる名著です。

社会のいたるところに充満しつつある大衆。彼らは「他人と同じことを苦痛に思うどころか快感に感じる」人々でした。急激な産業化や大量消費社会の波に洗われ、人々は自らのコミュニティや足場となる場所を見失ってしまいます。その結果、もっぱら自分の利害や好み、欲望だけをめぐって思考・行動をし始めます。自分の行動になんら責任を負わず、自らの欲望や権利のみを主張することを特徴とする「大衆」の誕生です。20世紀にはいり、圧倒的な多数を占め始めた彼らが、現代では社会の中心へと躍り出て支配権をふるうようになったとオルテガは分析し、このままでは私たちの文明の衰退は避けられないと警告します。

大衆=多数派等単純な解釈ではないようです。

視聴して、わが身の過去に起こった事を思い出しました。

昔からよく周囲には変人扱いされてきました。好き好んで常に少数派に属していましたからかと思います。

体格には恵まれていましたし小さい頃から町の道場で空手を習って体を鍛えていたし、筋トレも好きでしたから、中、高校と美術部だったのに体育の体力測定などでは妙に筋力の項目が良い結果でした。暇が有れば好きな本は常に読んでいたり、等々大衆から逸脱した事ばかりしていたのですね。(体育の授業の後に先生にお前陸上部で砲丸投げやらないかとよく言われたのを覚えています、美術部の部長なんですがと何度か言った覚えが有りますが納得してもらえなかったのは先生間の力関係か?いまだに疑問なところであります)

ちなみに私は工業高校を卒業していまして、医療職(リハビリテーション専門職)を目指そうと作業療法士専攻科が有る専門学校を受験しましたが、工業高校では専門の科目があまりに多く、普通高が学ぶはずの生物などは独学で勉強しました。夜遅くまで好きな本を読んで起きていて、授業中寝ていた、私は独学でそこそこの結果を得る学習方法に長けていたのかもしれません。

私の奥さんも同じような苦労をして作業療法士になった人ですが夫婦統一の見解として、万が一子供が両親と同じ職業を目指すのなら普通校から目指して欲しいと願うところです。

長々と失礼しましたが、何が書きたかったのかといいますと、少数派に属する事の多かったことから、体を鍛えて、本を読んで、資格を取得してと色々努力してきました何より自分の頭で考える努力はしていたつもりでした。

ところがところが、病気になって長期入院したりすると、努力して手に入れた小さな社会的な地位なんかはアッサリ無くなりました、取り換え可能な歯車はなんのためらいもなく切り捨てていただきました。サクッと解雇です。

ただの無職の個人になって入院生活をしていると、体験しないと理解しがたいとは思いますが、自分と同じく脳卒中で入院している高齢の患者さん達がすごく怖かったんですよ。

かなり高い頻度で『あなたはまだ若いから、いくらでも眠れるでしょう』『面会有って良いねー』等生活の不満等をあからさまな嫌味口調でぶつけられるのです、子供たちの将来の心配をしていたりと当時はなかなか眠れたことなど無かったのですがね。

自分達との違いをみつけては攻撃して一時の安心感を得ようとするのはどんな集団にあっても常に起こる事なのだろうとあきらめに似た思いをいだいてみたり。

まあ、私の場合は、何か悔しい思いをしたりするとそれをバネにまた何か目標を見付けて努力するのでかまわないんですがね。退院後結構短期間でパートではあるが作業療法士として復職してやった。(もちろんクビになったのとは別の職場に)

結局は悔しさをバネに自分の利害、欲望のみをめぐって行動していたのですから私も大衆であるのでしょうね。