shinmaimanaのブログ

作業療法士で左片麻痺の障がい者でもあります、両方の視点を持つからこその事が書いていければと思います。

日々是好日(映画ではなく)言葉の意味通りの内容です

日々是好日、映画公開されてもうだいぶ経ちました。

書店などでポスターを見るたびに気になっていました、子供たちがもう少し大きければ奥さんと観に行きたかったです、DVDが発売になったら購入しようかな?

地上波とかBSでは当分放送してくれないでしょうね~。

 

で、本題ですが。

『日々是好日』ってこの言葉非常に深い言葉なんですねって話です。

 正直、調べてみるまで「毎日良い日で良い事だ」位の言葉なのかと思っていました、

 正しくは全く違うどころか真逆の意味みたいですね、

 

たとえば、 

雨が降ってほしい時に晴れる時も有れば、その逆の晴れてほしい時に雨が降る時もある。

人に天候を自由にする力はどう頑張ったところで有りませんが、天候に対しての心の持ち様はどうとでも自由に変えられる、と。

環境因子、起こった出来事に対して柔軟に自分の心の有り様を変えられたなら苦しむ事無く、毎日を好ましい良い日に変えていけるという様な意味の言葉の様ですね。

「毎日良い日で良い事だ」程度に理解していた時は 、待ちの姿勢で明日は良い日になりますようにと願うような言葉のイメージを持っていましたが。

むしろアグレッシブな攻めの姿勢で、どんな状況からでも良い事を見付けて取りに行くぐらいの言葉なのかなと今は思います。

すごく助けられた言葉の一つなんですよ。

私は脳出血後遺症で左半身麻痺になって、就いている仕事が、作業療法士(リハビリテーション専門職)だけに障がいが完全に治って元には戻らないと理解できてしまうけど、自分の体だけにできるだけあがいてはみたい気持ちの整理が付けられず、どうにも受容して受け入れるには覚悟が要りました。

『あきらめる』という言葉は本来『つまびらかにする』、『明らかにする』という意味があるそうです、これも『日々是好日』と同じく禅の本を読んで学びました。

10数年作業療法士をしてきたうえで、できる限りの努力をしてみて障がいを治そうと頑張るのはこのあたりがしおどきと前向きに『あきらめ』てみました。

そんな時に『日々是好日』ってこの言葉には助けられました。

【障がい年金を含めても月収が病前の半分】だけど、これもまた良し。

・パート勤務だから学校から帰った子供たちを出迎えられる。

・フルタイムで忙しく仕事をしていた時はなかなか時間が無かったけど、今は好きな本が自由に読める。

【田舎暮らしで自動車の運転が出来ない】だけど、これもまた良し。

・奥さんは自動車運転出来るのだから、自動車を家族皆で乗れるものに変更、団らんの時間が増えた。

・子供たちが私と出かける時は自動車以外の交通手段の使い方を学ぶ機会にしてみた。

 【半身が麻痺してるから仕事でテキパキ動けない】だけど、これもまた良し。

・動けない利用者さん達の気持ちや、痛みがよく理解できるようになったように思う。

・リハビリの仕事で動けないだけに手が出ない、可能な限り口頭指示のみで行う訓練は利用者さんの残存機能を出来得る限り引き出すには良い手段の一つかもしれない。

【転んで顔に大怪我】だけど、これもまた良し。

リハビリ仕事で認知機能が低下に伴って発動性が低くなっている、利用者さんに顔の怪我を見せただけで「あんた、どうしたの?」と一笑いしていただけて容易に良いリアクションが取れた。

 

すべて心の持ち様です。