shinmaimanaのブログ

作業療法士で左片麻痺の障がい者でもあります、両方の視点を持つからこその事が書いていければと思います。

反抗期 和顔愛語は 難しい。

『和顔愛語』禅の言葉で、

『和顔』穏やかな微笑みをたたえた顔でいる事。

『愛語』良い言葉、やさしい言葉を使う事。

つまり、人と人とがコミュニケーションをとる時良い笑顔、良い言葉、やさしい言葉が有ればたいがいの事はうまくいくという意味のようです。

 

私も人が相手の仕事なので心がけているところではありますが、実際難しいですよね。

そして、仕事もですが、子供たちとのコミュニケーションなんかでも常に心がけてはいるものの上手くいきません。特に反抗期の子供相手には仏や聖人でもなければ無理なのではと思う程の高難易度です。

ちなみに我が家の子供たち長男小学6年生(反抗期まっただ中)、長女小学4年生発達障害、次女3歳などは何を言ってもイヤだ、イヤだ、の時期です、なかなかこの三人皆に気を配ってバランスをみながら、自分の言動に対しては気が回らないですね。

 

話は戻りまして、この『和顔』ですが、よくよく考えたら難しいですよね、基本的に笑顔でいる事を心がけていますが、私の場合ベースの表情を笑顔にしておくのが得意なだけなのだと思います。『いつも笑っているのは笑っていないのといっしょ』この言葉、何で見聞きしたのかは思い出せませんが印象に残っている言葉です。まず間違いなく笑顔のお面を顔に張り付けておこう的な私の現状は『和顔』とは別物ですね。

ですが『人は幸せだから笑うのではない、笑うから幸せになるのだ』という言葉も有り、これはウィリアム・ジェームズ(19世紀の心理学者)の仮説で、「感情は行動によって生み出される」という考えを「As if(アズイフ)の法則」と言います。

結論の根拠をジャンル違いのところから持ってくるのもいかがなものかと思いましたが、結論として笑っていれば幸福感を感じるというなら、多少嘘くさかろうと笑っている事は自分の為にも良い事で、少しずつ余裕が出てきたなら笑顔の質も良くなるのではと思います。

そして『愛語』良い言葉、やさしい言葉を使う事とありますが、相手のために必要な事であるならあえて厳しい言葉を使う事も含まれるのだそうです。子供のためを思わない親はいないのでしょうが、親の視点からだけで子供に対しての「あなたのためを思って」といった押し付けの言葉は『愛語』たりえないように思います。

結局は子供の話を聞いてあげつつ子供が納得できるよう穏やかに言葉をつくすしかないのだと思います。

『和顔愛語』の、とりあえず私なりの結論ですが

私は本が好きなもので色々調べたりしているうちについついややこしく考えてしまったりしますが、端的に結論を述べますと。

仕事にしても、育児にしても『笑顔で楽しんで、のんびり』で良いのかなと思う次第であります。あくまで私個人の結論ですえらく当たり前の事に落ち着くまでに長く書いてしまい申し訳ないです。