反抗期の男の子とマッチョイズムの相性は確実に良くないかと。
ちなみにマッチョイムズとは、(weblio辞書より)
男らしさや男性的な逞しさを重んじ、言説や主張の基調とする考え方のこと。マッチョ主義。
(こちらはあえてアンサイクロペディアより引用、より本質ついてるように思いましたので)
マッチョイズムは人間の皮をかぶったゴリラ、社会でもたまにと言いたいんだけど実際は結構重要視されることがある。幼稚園などが典型例と言えるだろう。
マッチョイズムとは要するに「とにかく強ければいい」という考えであり、ゴリラやライオンなどの野生動物では最も大事なボスの条件である。すなわち、誰よりも強くあればほかの要素は要らんということだ。いいとこ選択肢ボードで言えば知能とカッコよさを最低にした状態と言えるだろう。
私、昭和50年代生まれとしては、恥ずかしながら子供の頃は、少し危険な遊びなんかは当たり前のように日常的にしていました。
子供のころはさほど危険性について疑問も持ちませんでしたね。
具体的には雪国なので、大雪が降った日には二階の窓や小屋に登って屋根から飛び降りるなどです。(まさに勇敢さを誇示するマッチョイズム全開の行為ですな~)
今思うと少し大きめの石の一つでも着地地点に有ったら大ケガですね。
水不足の年に小さめなダムのすぐ下で釣りをしたことも有りましたね、『禁漁区域です放水しますので移動して下さい』とアナウンスが有ってからようやく帰り支度をして、危険は無かったもののこれまた今にして思うとその時の管理職員さんが優れていたからよかったものの、危険極まりないですね。
一人であればあるいは冷静に危険を判断出来たのかもしれませんが、集団心理に度胸試しの要素も有り子供の頃は何の疑問も持ちませんでしたね~。
前にSNSで同世代の中学生ぐらいの男の子のお父さんと話したことが有りますが。
そのお父さんは子供の頃、バトミントンのラケットでスズメバチを叩いたものだと話していました。父親になって子供が同じことをしていてゾッとしたそうです。
さらに私の親世代になるともっとひどいです、お互いにとがった鉛筆を持ってけんかしたもんだととか、孫にドヤ顔で武勇伝語って聞かせていましたし。
私は子供の頃、父親に夜暗くなってから一人でお酒を買いに行かされたりも、良く有りました(昭和初期のドラマですか?って思います)。
私の意図としては、親の愚痴を書きたい訳ではなくて、私の親世代、私の世代ぐらいのマッチョイムズの定着は嫌な感じで根強いなと思いましてね。
そして、反抗期になってテストステロンが盛んに分泌され、脳も体も闘いたくて仕方がない状態になっている男の子に対して、父親、祖父のマッチョイムズな声がけは気を付けないと、男の子が時代遅れな方向に進んでいくことを後押しをしかねないと思いましてね
人類史的に考えれば、勇敢である事を褒めたたえて、大義名分を与えれば、テストステロンが盛んに分泌されている状態の男の子は争いの道具として扱いやすかったのでしょうね、さらに集団心理なんかも加わってしまったらどうにもならないですね。
現代では、歴史的に継続されてきた争いの需要が少ないので、男の子は発達段階で、一時的に息苦しさを感じるのは必然なのですね。
争いの無い時代なのは大いに素晴らしい事ですが、自身の発達と環境の不一致による息苦しさは確かにモヤモヤはするかもですね、はるか遠い記憶ですが私自身も覚えがあるような気もします。
ゆえに、結論ですが、反抗期の男の子に対してはマッチョイズムな声がけは気を付けるようにしないと同じくテストステロンの影響からの自立心とも相まっておかしな方向に進みかねないかと思います。
体格的に恵まれている子なら人を傷つけて優越感にひたってみたりとか、何かの能力に優れた子なら自分基準の判断で人を馬鹿にしたり等ですかね。
人は自分の目を通してしか世界を認識できないとはいえ、私は自分の子供たちにそんな狭い視野で世界を認識してほしくは有りません。
で、さんざん考えても、反抗期の男の子に父親が出来る事なんかて、何かをおしつけるのではなく、あくまでおかしな方向に行かないように信じて見守るぐらいのものなのでしょうかね。