依存とマインドフルネス
私は作業療法士ではありますが精神分野は学生の頃実習で学んだ程度なので学び直しです。
依存(いそん、いぞん、英: dependence)とは、身体的依存を伴うもしくは伴わない、薬物や化学物質の反復的使用である。行動的依存、身体的依存、心理的依存は物質関連障害の特徴である。
日本語ではアルコール中毒、薬物中毒のように、中毒と呼ばれることも多いが、現在医学用語として使われる物質の毒性に対する急性中毒、慢性中毒(Intoxication)は、依存症とは異なる。
関連の用語として嗜癖(しへき、英: addiction)とは、物質使用を繰り返し、使用量が増加し、使用できない状態となると重篤な症状を呈し、使用に対する押さえがたい衝動が高まり、身体的・精神的悪化に至る状態である。
渇望が生じている状態を「依存が形成された」と言う。依存は、物質への依存(過食症、ニコチン依存症やアルコール依存症といった薬物依存症)、過程・プロセスへの依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)、人間関係や関係への依存(共依存、恋愛依存症、依存性パーソナリティ障害など)があり、重大な精神疾患にいたるケースもある。
ウィキペディアから引用させていただきました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87
内面の満たされなさが原因となって何かしらの依存におちいるというのはおおいに有る事のように思います。
『内面の満たされなさ。』って言葉自体がチクチクくる響きです。
おおいに身に覚えが有りますな。
私などは、どうにも、でかい病気をした当初などは特にでしたが無力感から、人に積極的に関わる事に苦手意識を持つようになりましたね。
以前から『禅』関連の本なども好きでよく読んでいましたが、
『マインドフルネス』は、よりロジカルで腑に落ちやすい印象です。
『内面の満たされなさ』、これは私のイメージですが。下に自分にやさしくなる方法について記載しましたが、現状何かしらの理由が有って自ら戒めている部分のルーツをたどる行為になるので、痛みの原因になっているトゲを見つけて抜いてケアすることで『自分にやさしくなれて』結果として『内面の満たされなさ』が解消されることにつながるのかなと。
自分にやさしくなる方法について
・ゴールをなくしてみる。
・「こうでなくちゃ」(完璧主義をやめる)。
・いつもベストでいられない自分を許す(「ま、いいか」と言ってみる)。
・鏡に映るじぶんへ「よくやってるよ」「おつかれさま」と声をかける。
・ほめられたら「ありがとう」と言う(検挙さと自己卑下をはき違えない)。
・人からの批判としょうさんを額面どおりにとる(過大、過小にとらない)。
・親との関係を振り返る(じぶんへの厳しさのルーツがそこにあるなら、親と話す、自分が自分の親になる、などルーツを書き直す工夫をする)。
・自分をケアする(爪を切ったり、ご褒美をあげる)。
・主観的、社会的バイアスの色メガネをはずす(「日本人は自分を抑え、調和をみだすべきではない」、などの一定の価値観に縛られていないか?)。
・ありのままの自分を受け入れる。
私の場合は両親とのかかわりが原因する部分は大きいようです。
マザーテレサは言っています愛情の対極は憎悪ではなく、無関心であると。
親が嫌いというより端的に関わりたくないってのが正直なところであったり。
私はきっと親に対して興味関心の一切を持てないのですよ。嫌いなものは嫌いな原因が改善されればどうにかなりますが。残念ながら、無関心はどうにもなりませんね。
あとは固定観念に縛られている部分も大いにありますね。
自動車の運転が出来なくなったとか、収入が以前より大きく減ったとか。
当然父親として夫としての負い目は感じます。
ただ、そんな場合でも自分が自分の親になる、社会的バイアスの色メガネをはずす、という方法も記載されてましたし、必ずしも直接的、根本的な問題解決にとらわれる必要はないようですから、地道にダメージを修復したいです。
といっても具体的にすることはたいしたことではなく、
育児楽しんで良い父親像を作るようにする。
あと以前(病前)の自分と比べるのをやめるとか。
~が出来ない私は価値が低い。
役に立てない私は価値が低い。
など、責めないようにして自分をいたわるようにするとかです。
ようするにすりこまれた価値観の上書きです。過去自体は変えられなくても考え方次第で過去に対しての現在のとらえ方は変えられるってことですね。