最終学歴は最初の就職先?
タイトルは私が好きで著書をよく読ませていただいている成毛眞氏がその著書の中で書かれていた言葉です。
最初におもしろいところに勤めておけば学ぶものは大きいから、同業種の他の職場に転職したとしてもやっていきやすい。これは道理ですよね。
私は、さして優秀ではない成績で作業療法士の専門学校を卒業して介護老人保健施設に就職したのですが、ここで教えていただいた作業療法士の先生が優秀で優秀で。
単純に頭がいいとか、腕がいいとかではなく見ているものが、次元が違ったのですよね。
先生のコンセプトは『ゼネラリストのスペシャリスト』になってもらいたいってものでした。基本的に何でもできるゼネラリストになってもらわないと困る、でもそのうえで、ところどころやたらとマニアックにくわしいスペシャリストを追求して欲しいというものです。
今でも尊敬を軽く通り越してかくありたいものだと崇拝してます。(←過言ではなく)
私(今40)より少し上の世代のセラピストさん達は学生のっ頃日本語に翻訳されたセラピスト用の専門書がまだ十分になかったそうで、ドイツ語の文献を翻訳しつつ勉強したそうですな。それだけに、研究者気質も備わってる気がします。
経験を積んであちこち職場を渡り歩くと私より上の世代のセラピストさんでもちょっと残念さが目立つ方もまれにいたり。逆に年下でもすごいと思うセラピストさんでもたくさんいたりします。
で、まあ最初の話に戻るわけですが。
最初に就職した職場で学んだ事で大事にしている価値観はシンプルで『患者さん主義』だけです。
セラピストとして何らかの手技を極めたいとか出世だ、給料だとかは『患者さん主義』のおまけでいいのかなと思うのですよ、自分の手持ちの手技では改善が出来ないかもと思うなら新しい手技を節操無く学べばいいかと。そう考えたら自分の軸だけはブレずに20年やってこれましたね。おかげ様です。
その後訪問リハビリテーションもそれなりの期間やっていたのもあって思うのですが、現状、どんな疾患であっても病院から在宅への橋渡しって弱いと思うのですよね。
骨折なんかの整形疾患にせよ脳卒中なんかの中枢疾患にせよ在宅でどれくらい動けるかその人の生活がみえるようなフォローアップができれば、あとは生活していて痛いとかの不自由さえなければドンドンやりたいことを積極的にやると思うんですよね。
生活場面での活動量が確保できれば、医療費ってそれだけである程度削減できたりするのではと思ったり。
病院と同じような生活ができるような福祉用具貸与や購入ではなく、退院後何が必要で家ではどう動くか想定できるのはセラピストだけだし、少し先まで見越してこれくらい出来るようになると思うからそこを目指して生活=訓練になるような実際の生活場面での短期集中の訪問リハビリテーションだったりは重要な気がします。
現状やりたくてもセラピストの手が足りないのは理解しているつもりではありますが。
どうにも、退院させて終わりではなく、大事なのは退院してからどんな生活をするのか見越して入院中から必要な訓練をしておく事。
退院時、退院後しばらくのフォローにも目を向けるの大事だよねと思いましてね。