shinmaimanaのブログ

作業療法士で左片麻痺の障がい者でもあります、両方の視点を持つからこその事が書いていければと思います。

イメージが変わった言葉「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」についてです

言葉の意味を知ったら表面的なイメージとはだいぶ違いました、

「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」は

古代ローマ時代の風刺詩人、弁護士デキムス・ユニウス・ユウェナリスの言葉のようです。

「健全なる精神が健全なる身体(しんたい)に宿れかし」とも言われますよね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9

障がい者蔑視の言葉と批判的にとられる事も有るこの言葉、かくいう私も、体が不自由になってから特になんかイヤな言葉だな~と思った事も有りました。

 

その後、何度かその意味について調べてみたりしていましたが。

 上URL様によりますと、

そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。

との事です。

 

部分的にこの言葉だけを読んだそのままの意味でとろうとしてしまうと、体が不自由な私のような人間は精神も不健全になりがちって意味に思えますが。

 

本来の訴えたい意図としては、富・地位・才能・栄光・長寿・美貌などの人が求め始めたら際限がないであろう欲にとらわれては必ず自身の身の破滅につながるので、もし願うのであれば、健全な肉体に健全な精神が宿りますようにってぐらいを願うのが丁度いいですよって事をこの言葉は言っているんですよね。

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上に版権フリーサイト様からお金持ちっぽい画像を探して貼ってみたけど、大きくて重い家具は掃除が大変とか拭き掃除ていねいにしないと指紋ベタベタで汚くなりそうとか思うあたり根っこの部分から貧乏性なのでしょうね。

 

 以前に、宝くじ当たったりしないもんかね~って事を書いた事も有りましたがね。今でも毎日懸賞を送っています。宝くじ買いたくないけど当たったら良いな~程度のかすかな希望を持っておきたい場合は下記事の懸賞は景品が宝くじの懸賞に手軽に応募できるので良いですよ。

shinmaimana.hatenablog.com

はい、何かにとらわれたくても体の半分が麻痺した時にそれまで地道に積み上げた小さなものはあらかたごっそり無くなって、身軽このうえない私でした。

一度持っていたものを強制的にとはいえ手放してみたら、現状食うに困っていないし、今より生活レベルをあげるためにさらに頑張ろうってモチベーションはあがらなかったり。

子供たちが進みたい学校の学費が結構高額だったり。

予想に反して私自身が長生きして老後資金が足りなくなったり。

なんてことがあったらのちのち家族にえらく怒られるのでしょうが、心配の先取りをしてもしかたがありませんね。

 

後半は現状に甘んじる言い訳のようになっていましたね、申しわけないです。