習い事としての空手のイメージは、学校の先生にはかなり良くない?
小学四年生の長女が空手を習っております。
父親の私も小学三年生くらいから流派も先生も違うものの8年程、町の道場に通っていました。
私は身長178㎝で比較的でかいです。
私の空手の先生は道場の維持費だけを月謝として500円取っていた、30年程も前の事とはいえ完全に非営利で道場を営んでいた、本業が高校教師のかなりの人格者でした。
なので、私は空手に対してポジティブなイメージしか持ち合わせていませんでした。
悩みもせず子供たちがやってみたいと言った時、空手の道場に通わせ始めました。
意外にも体格的に恵まれている長男は、あまり気が乗らなかったようですぐに辞めました。
ところが長女は合っているのか、もう何年も続けています。
娘は私と違い細身で小柄です。
長男にしても長女にしても、面談で担任の先生と話したりする機会が有ると複数回『空手やってるから』、『空手やってたから』とっさに手が出ちゃったんじゃないかな等言われました。実際手を出したかどうかの真偽はさておきといった感じでこのような物言いはいかがなものかと思ってしまったり。先生の推測前提からの生徒間トラブル解決の材料にされる場合が有りますって事です。
基礎トレーニングしかやってない段階ですぐに自分には合ってないとみきりをつけて辞めた長男に至っては空手経験者とはとても言えないかと思います。
どんなもんなんでしょうね?
空手がオリンピック種目になっても、学校の先生の考え方としては。
空手を習っている子、空手を習わせている親は要するに
好き好んで暴力的な事をしに道場に行っている子、好き好んで暴力的な事を子供にさせている親。
てな感じの認識なんですかね。
習い事ややっているスポーツで子供自身を見ないで良くないイメージを持つのは、えらく前時代的だな~と思いましてね。
当然すべての先生が偏見寄りの見方という訳では有りません。見識の広い色々なタイプの子に対して理解のある先生はこんなおかしな固定観念に凝り固まった見方はしないようです。
というのも、娘の今の担任の先生が非常に娘の特性その他色々な面に対しても理解が有る良い先生で、今まで担任の先生に恵まれなかっただけに娘共々感謝しているからです。
以下補足的な内容ですが。
スポーツとしての空手には良い面が多く有りますよ。
・体幹が強くなる
特に蹴り等の脚技では上手く目標に当てるには、支えている脚の筋力、体幹の筋力は必然的に鍛えられます。
・積み重ねの鍛錬の成果の実感
実感しにくいい鍛錬も習慣化して時間をかけて取り組めば大きな成果になるというのが理解できます。
・他者承認欲求より自己承認欲求に目が向きやすくなる
そもそもが、相手に勝つ事よりも自己鍛錬、研鑽に重きを置いているので人に認められる事にはこだわらなくなりがちかと。