『ちょっとした不審者騒動』が増えたのは地域のつながりが弱くなったことも原因かと思ったり。
不審者と一般の人の境界線ってのはどこにあるのですかね?
小学校の先生が言っていましたが『みんなに挨拶しなさいと教えたい、しかし子供たちの安全を一番に考えなくてはいけないところもある』と言う言葉がどうにも心に残っておりましてね。
親(おや)は無(な)くとも子(こ)は育(そだ)つの意味 実の親がいなくとも、子はどうにか成長していくものだ。 世の中のことはそう心配するほどのこともないというたとえ。
↑はgoo国語辞書より引用です。
世の中、地域の人々がむかしほど容易には信用でき難くなっていることに原因が有りますよね。
明らかな社会的なマナー違反や迷惑行為を子供がしていても下手に注意すれば、注意した子の親から逆にクレームが来ると言いますし、
私は親が自分の子供意外には無関心というのもいかがなものかとは思ったりするのですがね。
ですが、『子供たちの同級生の親』、など身元のハッキリしている人ならともかく、全く知らない人に子供たちが話しかけられたとなると、実際には不安にはなったりしますね。
うちは有ったんですよ、娘が通学途中に知らない人に『アメをあげる』と話しかけられたって事が。
で、その『アメをあげる』って行動を何人にも何日か続けた結果、どうやら近所男の人であったらしいのですが警察に注意されたようでしたね。
これが、同じような通学途中の子供に『アメをあげる』って行動であっても、女の人であればこわいと思わないのでしょうか?
身なりのもんだいなのでしょうか?
年齢層の問題なのでしょうか?
どれにしてもやっぱりこわいように思います。
思うのは。奥さんの実家などに行くと農業を生業としているので、人手が足りないときは近所の人の手を借りるし、作業道具の貸し借りも頻繁なようです。仕事に限らず、何かあればみんなで助け合って、といったご近所ネットワークが強固に形成されているので、ご近所一帯のみんなに対しての信用の度合いが非常に高いように思います。
地域の人がみんな知っている人であるなら(誰でどんな人かわかれば)、子供が話しかけられたとかの多少の事などはこわくは感じないのかと思ったり。
子供が好きな私の伯父さんは、近所の子が家の前を通ったさいによくあいさつするらしいのですが、伯母さんに『今は時代が違うんだからヤメナサイ』といましめられていました。
私にしてみれば、伯父さんがすごくいいひとなのを知っているのでそれまたちょっと悲しくなる話だなとおもってしまいましたが。
話しかけられた子の親の視点で考えたなら、子供が知らない人に話しかけられたと、やはりこわいと感じるかもしれませんね。
結論的には
地域の人同士の結びつきの希薄さが『知らない人』をふやし、結果周囲の人に信用が置きにくくなっているのかなと思いました。
本当に挙動があやしい人物などの情報伝達もご近所ネットワークが強固に形成されていればスムーズに行われそうですしね。
ちょっとした地域の集まりおろそかにも出来ないですね。
知らない他人が急に我が子に関わろうとするのは意図がわからないだけに怖いと感じるって事なんでしょうね。