吉田松陰先生と発達障害の娘に学んでみましたって話です。
吉田松陰先生『四十七大戦』という漫画で学びましたが、先生付けしないと、山口県民の方々に怒られてしまうみたいなので、先生と記載しています。
本題からずれた所から入りましたが、吉田松陰先生の名言『諸君、狂いたまえ』って
今の時代的に面白いですよね。
この場合の『狂う』は英語的なcrazyの意味ではなく
自分でも持て余すような情熱でもって常識や固定観念にとらわれず己の信ずる事を行うってことのようですね。
生きる活力を奪う時代だとか言われる昨今。
されど教育は旧態依然として標準的で型にはまった人間を作りたがるシステムを変えようとはせず。
私はそりゃあ、発達障害の子が学校で浮いたりしますよって言いたいです。
標準的で型にはまった人間は、進歩したコンピューターに自動化や統計的処理能力で勝つことはできない。
言い換えれば現状の型にはまった人間を効率よくの量産する教育では、進歩したコンピューターに自動化や統計的処理に勝つことはできない。
であるなら、自分でも持て余すような情熱をもって、常識や固定観念にとらわれず己の信ずる事を行う事の出来る人こそ必要なのでは?
与えられた問題を解ける優秀さよりも、問題自体を自分で作って解決できる。
0から1を作り出せるクリエイティブな人材こそ必要なのでは?
なら、発達障害の子たちなどは現状の教育の現場では、一時的に浮いてはいるでしょうが、時代に必要とされている人材なのではと思ってしまいます。
まさに今現在のこの時代には『狂』自分でも持て余してしまうような情熱のエッセンスが致命的に足りていませんよね。
興味の対象が短い時間で切り替わり、過集中(自分でも持て余してしまうような情熱)でもって楽しんでいる発達障害のあるうちの娘を見ていると、一心不乱に楽しんで何かに取り組む様子には人を引き付ける何かが有るように思うのです。
40歳にして歴史上の偉人と娘に学んでみましたって話でした。
そして、たまにですが、対象に対しての取り組み方がまさに自分でも持て余すような情熱でもって常識や固定観念にとらわれず己の信ずる事を行っている方はいるもので、40年生きてきたなかで数人ですが確かにいらっしゃいましたな、思うのは例外なくカッコいい。そしてその熱は周囲に確実に伝わるってことですね(良い意味でまわりを巻き込む)。
まわりを巻き込むといえば堀江貴文氏が著書でカルピスの原液を作るような仕事をするべしと書かれていましたね、ベースになるものを作ってしまえばあとは周囲の人が巻き込まれて自身がいなくても仕事がどんどん進むってわけですね、自身は興味を持って取り組める新たな仕事の原液作りにとりかかれるわけですね。
自身が過集中できるような、持て余してしまうような情熱を持って取り組めることを持てたら毎日の充実度は飛躍的に上がる事でしょうね。私も可能ならそうありたいものです。
仕事も趣味も好きでは有るものの、のめりこむほどに夢中になってうちこめているかと問うと自信が無いのが正直なところだったりします。