『仏に会わば仏を殺し』ってこの言葉の意味も解る様なわからんような?でも今こそ大事かと
『仏に会わば仏を殺し』ってこの言葉、
けっこういろんな小説やら漫画なんかで間違えた使われ方していることも多い様にも思ったりするのですが。
私個人のっこんお言葉についての認識としては、
あらゆる知りたいと思うもの事に対して容易に検索すれば正解と思われる回答が得られるこのご時世。
すぐれた人の考えも、教えも容易に知ること自体は容易に出来ます。
が、反面それをうのみにする危険性もまた有るようには思えます。
情報過多と言える時代で、得た情報をどのように処理するか、何でも疑う事無く、というか、その能力が無いのは困るな~と思ったり。
などと、『仏に会わば仏を殺し』ってこの言葉、から考えてみました。
すぐれた人の考えをその言葉通りに深く自分で考える事無く知ったからといって理解出来た気になるのはすごく怖い事のように思えますよね。
優れた教えとされているものでも疑って良い、その自己検証の末に信じると決めたものには、疑う事無く信じるよりも価値がある。
疑う事自体悪い事でも失礼なことでもないのかなと思ったり。
で少し戻りますが、
『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、初めて解脱を得ん。』
これを言葉通りにうけとってしまっては大変ですね。
不道徳のすすめになってしまいますから、それはもちろん違って、
自分が大切と思ってとらわれているすぐれた考えも、一度自己検証し、ふかんして物事を見てみたなら新しい見方が出来るかもってな意味に近いのかなと思っています。
解答が容易に得られるだけに、自身で考える力が大切って少し皮肉ですが、おもしろくて実に人間的ですな。