shinmaimanaのブログ

作業療法士で左片麻痺の障がい者でもあります、両方の視点を持つからこその事が書いていければと思います。

お寺さんの説法を聞いてかく有りたいものだと思った話でした。

最近お寺さんに行く機会がありまして。

その際に聞かせていただいた説法が非常に身に染みましてね。

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帰宅してから覚えていた内容を頼りに調べ直ししてみました。

下URL様と大筋は同じ内容でしたが。

http://www.zuikouji01.sakura.ne.jp/monngo/amidakyou/rakann/10ragora/newpage9.html

自らの行いによって自分の価値を下げる悲しさってありますね。

結果誰からも顧みられる事のない人物になり果てるのは、人からの評価はさほど気にしない私ですがさみしいように思えました。

優秀な才にめぐまれて過去に偉業をなした人であったとしても。

大金持ちであったとしても。

地位が有ろうと。

発言や所作があまりに人を不快にさせてかえりみる事のないものであれば人は離れて行くのかと。

地位やお金が有れば離れない人たちもいるのでしょうが、それはその人の人間の中身でも魅力に由来するものでもなく。

その人の地位やお金に興味のある人達、さみしい関係性ですね。

私も障がい者になって、フルタイムの仕事を辞めて以降人間関係もだいぶ以前より希薄になりました。

体力に余裕も無いですし、大きな病気をすると人生の残り時間についても考えます。

ストレスのたまりそうなつきあいは切り捨てさせていただいたのでずいぶん人との関わりは少なくなりました。(スマホの電話帳の登録数の少なさを見ると我ながら少々引きます)

そんな残った気楽な人間関係にあっても。

逆にそれだけに丁寧に発言や所作に気を配りたいと思ったりしました。

 

下記事はだいぶ前に書いたものですが。

shinmaimana.hatenablog.com

 かくありたいと一心に努力して確たるものを持ち得るに至った人には当然虚勢を張る必要自体が無いですから、おのずと謙虚な姿勢の発言や所作になるのかもしれませんね。

当然私は偉人にはお会いしたことはありませんから、可能な範囲でイメージに近い尊敬できる人物を思い浮かべてみると。

通っていた空手道場の先生は、発言や所作がカッコイイ人だったな~と思いました。

顔が良い訳げでも体格がいいわけでもないのに洗練された発言と所作でもって存在感がすごい人でした。

学校の先生を本業にされていた方で、若い頃はこわい先生だったのだよ道場の先輩などから聞きました。

紆余曲折有って、苦労して悩んだ結果至った境地の発言や所作の洗練って良いな~と思いましてね。

『実るほど首を垂れる稲穂かな』ということわざが有ったな~と思い出してみましたが、まさにですね、かくありたしです。

地道に長い年月をかけて積み上げてきた確かなものがあるならどれほど謙虚にふるまおうと他者に容易に侮られはしないし、たとえかりに、おかしな扱いを受けようと歯牙にもかけないものなのでしょうね。

まだまだ私は道半ばですね。

ただ、40過ぎてお寺さんの説法が素直に心に染み入る様になったな~と、年を取ったと感じると同時に、あっちへフラフラこっちへフラフラ迷ってばかりの私ですが、人格的な面での目指すべき目標はおぼろげながら見えたように思えたなと思った次第でした。