オリンピックもテクノロジーできっと変わる。
はじめに、ダイバーシティ、マッチョ、eスポーツについてを記載したいかと思います。
ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われることが多かったが、現在は性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。 企業がダイバーシティを重視する背景には、有能な人材の発掘、斬新なアイデアの喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがある。
※下に記載したマッチョな考え方、マッチョイムズとは対極的ともいえる考え方と思います。
徐々にではあっても、認知され受け入れられつつあるように思います。
マッチョとは、メキシコで使われるスペイン語の「macho(マチョ)」が語源とされる言葉で、強靭な肉体や、勇敢な好戦的な性格を持った男性を基本とする思想のことを指します。
勇猛な人を褒め称える言葉として使われることもあれば、男性優位主義者を指す言葉として使われることもあり、女性を軽視する男性を揶揄する際に用いられます。
※強ければ良い、勝てばいいというような、画一的なものではなく。
ひとそれぞれに価値観多様性が有って当然ですよね。
そこから考えてもマッチョイムズはいかがなものかと思ってしまいますね。
「eスポーツ(esports)」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称。
※今後VR技術がより進歩すればeスポーツと実際にからだを動かすスポーツにテレビ画面で観戦する際の境界はさほどなくなるように思うのですよ。
本題ですが、
私は片麻痺ではあるものの、体を鍛えるのは好きです。
趣味でよく筋トレもしています。スポーツ自体大いに良い事と思います。
ただ、スポーツの目的として、相手に勝つ事だけの比重が大きくなりすぎるのはいかがなものかなとは思っています。
自己研鑽にもう少し重きを置いてもいいのではないかと思うのです。勝ち負けはあくまで自己研鑽の結果向上した実力に付いてくる結果だと思うのですよね。
上のダイバーシティの説明で記載したように多様性を受け入れる方向に動いている流れの中で。
2020年オリンピックも近いですが、変革していったりはしないのかなと思いまして今回こんな事を書いてっみた次第です。
パラリンピック選手とオリンピック選手が競えるような競技を新たに考案したりとか。
技術がこれだけ進歩してれば出来ると思うんですよね。
eスポーツは少し極端にしても競技の中にテクノロジーが融合すれば対等な条件下での競技の新設とか、既存の競技を対等なものにとか。
上のURLは車椅子マラソンをVR技術で体験出来るというものです、車椅子マラソンの実際の最高速度が時速60㎞を超えるとか私は知りませんでしたし、実際に体験したら衝撃的だと思います。
そんなような新しい試みが無いと、オリンピックも時代遅れなマッチョなお祭りになっちゃう可能性が有るかと思うのです。
一番になればえらい、勝てばいい、なんてマッチョイムズはどうにも好きにはなれません。
小さな子供の頃から、将来の夢はオリンピックで金メダルをとる事とスポーツに打ち込んだりするのは素晴らしいと思うのですよ。
私が思うのはむしろ周囲の問題で、一番になれなかったから価値が低いではなく、その過程にこそ価値が有ると思うのです。
どこの国がメダルが何個とれましたって結果だけを追いかけるものであっては惜しいなと思うのですよ。
世界規模のお祭りなんて現状オリンピック以外にそれほどないかと思いますし、せめて子供たちが未来は明るい、希望が持てると思えるようなものとして継続出来たら良いなと思う次第です。
ちなみに、うちの小6長男と話してたらeスポーツがオリンピック競技とか有りだと思うよって言ってましたね。ゲームが好きなのも有るのでしょうが子供は結構柔軟な発想をしています。
さらに、将来的に通信技術が進歩すればパラリンピック競技などは特に、より臨場感をもって視聴できるようになる事で認識が大きく変わるのでしょうね、上にも書きましたが、車椅子マラソンの時速60㎞を超える風景を選手目線でリアルタイム視聴できるようになったりとか、認識が大きく変わると思いますね。
結論的に、
新しいテクノロジーが実用レベルまで普及すれば、枠組み、認識、評価と順に変化していくのですかね。
そう考えるとオリンピック子供たちが未来に明るい夢や、希望が持てるもので有り続けられるのかなと思います。