小学校の冬休みが始まりました。
わが家の子供たちの通っている小学校は冬休みです。
令和元年は12月23日が終業式でした。
地域によって差があるようですが、授業に進行具合に地域で差が出ないようには配慮されていて夏休み、冬休みを合わせて50日ほどになる様に調整されているのだそうです。
年が開けてからまだたくさん宿題が残っているのは大変だから、できる限りは今年の宿題は今年のうちのにやろうな~。と子供たちに話していますが、小6と小4はどんな感じで宿題が進むかな~。
小6に関してはそろそろ自分で管理できないとですから最低限たまに状況チェックするのと、困っている様子が無いか見る程度にとどめようかと。
とりあえず冬休み初日ぐらいは正確な宿題内容の把握と、自分の苦手の把握に努めてもらって年を越してから『やっぱりこれもやらないといけない宿題だった~』とかが無いように必要な事を理解して日数割りし、内容の配分をしてもらいました。
さてさて、宿題もですが長期休みに入ると気になるのはうちの場合ネットゲームですが。
どの程度まで許容するべきか難しいところです。
ルールの後付け追加にならないように事前にしっかり話し合って決めたルールもかなり長い事ちゃんと守れてたものの、最近破綻しかけてきているのがこわいところであったりします。
上記事でも書きましたが友達付き合い第一な反抗期な長男が友達とのコミュニケーションを楽しむ事も含めて大いに楽しんでいるようなのである程度の許容は必要ですし。
どの程度まで許容するべきかというライン引きが出来て、それを親子で共有出来れば後はさしたる問題ではないのでしょう。
小学校最後の冬休み、今の同級生はだいたいみんな同じ中学校に進学するのですから、学力はそれなりに平均的なレベルを維持できているし、特別苦手な事もない様なら、同級生と仲良くしておくことも中学校進学後の友人関係の不安を軽くする意味では良いのですかね。
古い世代の私としては驚いた小学生のネットゲームの使い方の話でした。
わが家の長男(小6)はDaisoで買ったイヤホンマイクを使ってそれはもうニンテンドースイッチのネットゲームに夢中です。
Daisoで買ったイヤホンマイクは上画像のようなタイプよりだいぶ簡単なコードのみのものですが、支障なくコミュニケーションがとれるようです。←安価なのに優秀ですな。(画像撮ろうとすると隠すので撮れずです)
ネットゲームは初めに時間をきちんととって話し合ってルール決めをしたはずなんですが徐々にあやしくなりつつある今日この頃です。
やっぱり友達関係が第一な反抗期にはネットゲームにイヤホンマイクが加わってしまうと、もう学校帰ってからも自宅で気軽に友達とコミュニケーションがとれるのは楽しくて仕方がないようですね。
長男が大声でイヤホンマイクで友達と話しているので内容は当然まるっと聞こえています(夢中になりすぎて違う部屋にいて聞くつもりが無くても内容が理解できるくらいの大声で話している)。
これが意外にゲームに関係のない事も話していたり、『午後から暇なら近くの公園で一緒に遊べないかい?』とか話たりしてるんですよね。チャット機能を電話の感覚で使っている部分もおおいに有る様に思えたり。
声のトーンも家族と一緒の時とは少し違うように思えたり、話すこと自体を楽しんでいる部分も大きいのかと思えます。
自分を振り返ってみると、私の頃は時代が時代なので携帯電話を持ちはじめたのは20歳頃だったように思いますが、自由に友達とコミュニケーションをとれるようになった時はついついいらんことも楽しくて長時間話したりしたように思います。
一応は、そう考えるようにして多少の決めた時間を超えても怒りすぎないように自制している今日この頃です。
そりゃ、小学生でそんなオモシロいツールを与えられたら夢中にもなりますよね。
と、納得してみたりって話しでした。
イメージが変わった言葉「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」についてです
言葉の意味を知ったら表面的なイメージとはだいぶ違いました、
「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」は
古代ローマ時代の風刺詩人、弁護士デキムス・ユニウス・ユウェナリスの言葉のようです。
「健全なる精神が健全なる身体(しんたい)に宿れかし」とも言われますよね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9
障がい者蔑視の言葉と批判的にとられる事も有るこの言葉、かくいう私も、体が不自由になってから特になんかイヤな言葉だな~と思った事も有りました。
その後、何度かその意味について調べてみたりしていましたが。
上URL様によりますと、
そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。
との事です。
部分的にこの言葉だけを読んだそのままの意味でとろうとしてしまうと、体が不自由な私のような人間は精神も不健全になりがちって意味に思えますが。
本来の訴えたい意図としては、富・地位・才能・栄光・長寿・美貌などの人が求め始めたら際限がないであろう欲にとらわれては必ず自身の身の破滅につながるので、もし願うのであれば、健全な肉体に健全な精神が宿りますようにってぐらいを願うのが丁度いいですよって事をこの言葉は言っているんですよね。
上に版権フリーサイト様からお金持ちっぽい画像を探して貼ってみたけど、大きくて重い家具は掃除が大変とか拭き掃除ていねいにしないと指紋ベタベタで汚くなりそうとか思うあたり根っこの部分から貧乏性なのでしょうね。
以前に、宝くじ当たったりしないもんかね~って事を書いた事も有りましたがね。今でも毎日懸賞を送っています。宝くじ買いたくないけど当たったら良いな~程度のかすかな希望を持っておきたい場合は下記事の懸賞は景品が宝くじの懸賞に手軽に応募できるので良いですよ。
はい、何かにとらわれたくても体の半分が麻痺した時にそれまで地道に積み上げた小さなものはあらかたごっそり無くなって、身軽このうえない私でした。
一度持っていたものを強制的にとはいえ手放してみたら、現状食うに困っていないし、今より生活レベルをあげるためにさらに頑張ろうってモチベーションはあがらなかったり。
子供たちが進みたい学校の学費が結構高額だったり。
予想に反して私自身が長生きして老後資金が足りなくなったり。
なんてことがあったらのちのち家族にえらく怒られるのでしょうが、心配の先取りをしてもしかたがありませんね。
後半は現状に甘んじる言い訳のようになっていましたね、申しわけないです。
ローカルアルバイトな話です。
青森県在住歴が年齢とイコールな私ですが。津軽地方にも南部地方にもそれなりに長く住んで仕事していたので、同僚から聞いた
ローカル色の強い、その土地ならではのバイト話はおもしろかったと思いましてね。
たとえば、県内でもホタテ貝の養殖で有名な平内町というところの出身者さんによると、ホタテ貝のミミズリなるアルバイトがあるらしいです。
聞くところによると、このミミズリは、ホタテ貝をひもでつなぐ作業で、このひもでつないだ状態で海につるして養殖するのだそうです。
私が十和田市で仕事をしていた際に男子休憩室で聞いたローカルなバイトの話もなかなかにおもしろくてですね。
ちなみにこの十和田市と、おとなりの六戸町はタバコの畑が結構に多かったり。
たばこはピンク色の小さめの花をいくつもたけるのですが、これがまた養分は葉の方に全ていってほしいという理由から、咲いたそばからすぐに摘み取らないとなんです。
上は版権フリーサイト様で見つけたタバコの花の画像です。咲いたそばからすぐに摘み取られるのでかなり見る機会が少ないものかと思ったり。
喫煙部屋の休憩室でタバコを吸いつつ聞いた話ですが、タバコ畑でもけっこうバイトはあったそうで、バイトの休憩時間には細かく細断する前の乾燥させてあるだけの一枚の葉っぱの状態から葉巻きタバコを自作して一服できたのだそうです。⇠おそろしく体に悪いのではと思ったものでした。
で、私が生まれ育った弘前市などはリンゴの産地だったりしますが。
このリンゴ関係はリンゴ農家に生まれた人や、それなりに知識がないとヘタに手伝おうとしてもじゃまになる場合も有るらしいです。
赤いリンゴは果実の周囲の葉を取ってまんべんなく日光を当てないと果実の色にむらが出来てしまうので手間がかかるらしいのですが、この葉を取る作業も熟練していないと、どこの葉をどの程度とって良いものかなんてなかなかわかるものではありませんし。
画像貼ってみましたが、お日さまの位置は当然変わりますからどの葉をとるのが正解?ってなりますな。リンゴ農家さんにある程度の期間教わらないとわからないと思います。
リンゴもぎ作業でもツルがとれてしまうとリンゴは商品価値が大きく下がってしまうらしくやはり熟練の技術が必要だったりするようで。
農家の高齢化に伴って、黄色いリンゴ(色むらの心配がないので果実の周囲の葉を取る必要がない)の生産量が増えているというのもおもしろいですね。マンパワーが足りないなら、少しでも手のかからない品種を作れば良いじゃないってリンゴ農家さんの姿勢に作り続けるしって気合がうかがえる気がします。
親子って妙なとこが似たりしますな
小柄で元気なうちの長女、わりと体格がよくて基本のんびりな父親の私となぜかよく話します。
夕食の後なんかに『タンパク質をたくさん食べた後は筋トレがしたくなるね~』と私が筋トレし始めると長女は『それわからんでもない』と、よく一緒に筋トレにつきあってくれたりもします。
ちなみに長男はスポーツ自体は好きなようですが筋トレのたぐいはあまり好きではない様子でひとり違う事をして遊んでいたり、凝り性で何かにハマると長期感わたって周囲に左右されずに夢中になったりするあたりなんだか私にソックリです。
で、よく話をする私と長女ですが、何かのきっかけで『生まれ変わったら何になってみたいか』って話をした事が有り。
私は『クラゲになりたい』
長女は『雲になりたい』と言ったわけですが。
何でかって理由が見事に一緒だったのが面白くてですね。
『何も考えないで浮かんでいられるのは楽しいに決まってる』って共通のものでした。
おかしなところが似たものだな~と思ってですね。
似ている様で似ていなかったり、似ていない様で似ているところがあったり。
あまり良い親とはいいがたいかと自分でも思うので子供たちにしてみれば私に似ている部分は不本意と思いますが。私は面白いものだな~と似ている部分を見つけてはコッソリ笑ったりしています。
少しでも良い親になれるよう頑張りたいところですが、いったいどうある事が良い親なんだか方向性も着地点も見つからないまま、あれこれ考える毎日です。
これだけ価値観が多様化しているとたま~にクラゲとか雲になりたいと思う事が有ったりします。
くわしくないなりに捕鯨とその関連について調べてみました。
国際捕鯨禁止条約から脱退ってのはかなり前に報道されていた出来事ですが。
下URL様は国際捕鯨禁止条約から脱退に関してです。
https://www.bbc.com/japanese/48821979
これもどちらの主張が正しいって問題ではないように思えます。
日本としてはIWCのクジラの個体数は十分に回復していないって主張はクジラを殺すのはかわいそうって感情論主体の具体的なデータ的根拠の無い主張で。クジラの個体数が増えすぎてサンマやイワシの不漁につながるのも困るって主張なのですかな。
http://kogia-sima.hatenablog.com/entry/2019/02/20/093023
ところがその検証も上URL様のデータを見るとそうとは言い切れない。
何とも。いきすぎた資本主義が問題の根幹に有る様に思えていかんですな。
捕鯨をめぐる論点は本当に多いようですね。
https://withnews.jp/article/f0191202000qq000000000000000W0ae10701qq000020075A
上URL様参照ですが、
どの種類のクジラについて話しているのか、いつの時代の話なのか、食べるためなのか、油を取るためなのか、商業捕鯨なのか、調査捕鯨なのか、先住民生存捕鯨なのか、漁網などにひっかかってしまう混獲なのか、IWC加盟国なのか、非加盟国なのか、沿岸なのか、公海なのか……。
ざっと思いつくだけでも捕鯨はこれだけの種類分けができます。そしてそれぞれに科学、経済、文化、環境、政治などさまざまな面から議論がありえます。との事。
上URL様よりですが、
今後数十年のうちに100万種の動植物が絶滅の危機に直面すると、執筆にかかわった数百名の著者たちが警告したのだ。いま知られている全生物種のうち4分の1が、近い将来に姿を消すかもしれないという計算になる。
となると、特定の種に対してどうこう、クジラを食べる食文化を守りたいというのも理解できる理屈ではあるものの、なんだかもっと大きな問題のような気がしてきますね。
上URL様は読んでて本当に怖かったですよ。
クジラの個体数がどうあれ、サンマやイワシの不漁が続くというならそれも価格が上がるって程度の話ではなく、海の食物連鎖のレベルで異常が起こって生命のサイクルがうまく回っていないって事ですよね、クジラがどうこうとか一部分を問題視しても解決しない問題のように思えますね。
そして個人が頑張って環境に良い事をしようって段階じゃないよね、企業とか国単位
だよねと思ったり。
上記事でも書きましたが、
国家単位で経済成長万歳→企業単位で収益最優先の生産活動→より良い環境を未来に残すため自分たちにできる事が有るはず的な、しわよせが個人単位にのしかかる。
この構造って、違うよな~って思っちゃいます。
捕鯨の関しては多くの国の多様な価値観が絡まりあった問題だけに、「私クジラは食べないし」とか他人事に思わず少し深く考え続けてみたいですね。
https://withnews.jp/article/f0191216000qq000000000000000W0ae10701qq000020077A
上URL様に有る様に厳格なルールに基づいて命に敬意をはらったかたちでの捕鯨は、良い様に思えますね。
少なくとも年末になると放送されるカニの通販番組なんかのようにこの大きないけすいっぱいにいるカニ全部で1億円なんですよ、みたいな生き物の価値が金銭とイコールになってガンガン獲ってドンドン売れば大儲けってように見える形態の漁はすぐに破綻をきたすように思えちゃいます。
角欲しさにクロサイをさんざん狩ったことだったり。
ふかひれ欲しさにジンベイザメをさんざん獲った事とおなじですよね。
特定の種の個体数を獲りつくしてしまって減らせば、その種が生態系で果たしていた役割の部分も抜け落ちるのですから、当然その種だけの問題ではなく多くの種に関連した問題になりますよね。
さらに温室効果ガス、温暖化と環境の変化ですからね。
すなおに納得したくないけど二つ上に貼ったURL様のいま知られている全生物種のうち4分の1が、近い将来に姿を消すかもしれないというのにも納得させられちゃいますね。
世代的に、ツケがまわってくるのが子供たち以降の世代と思うと資本主義偏重良くないな~と思う事が多い今日この頃でした。
『わらってはいけない』痛かろうとは思ってましたが
年末は子供達とだいたい毎年『わらってはいけない』を観ますが。
どうせなら、笑って一年終えたいですしね。
やらせかんが全くないし、痛み止め服用したくもなりますよねって話です。
https://www.j-cast.com/2019/12/16375179.html?p=all
ただ上URL様によると事前にってのが効果のほどはいかがなものかと思ってしまいますね。
痛み止めのたぐいって胃に負担が大きがったりしますから、後々の胃のダメージも心配なところですね。
不本意ながらケガ慣れしている私は、痛み止めとはだいぶ仲良しです、医師がを処方してくれる場合、結構な頻度で胃薬もいっしょに処方されたりしますがこの場合の胃薬は痛み止めが胃に負担をかける事を見越して予防的に処方されたものらしいですね。
それにしてもこれからする予定のケガの痛みをおさえるために服用って、不安感に対して何らかの対抗策をたてたい気持ちはわかるような気がしますが、落語家としてすごい努力されて大成されたようですし、体をお大事にです。
https://www.sankei.com/west/news/180918/wst1809180023-n1.html
上URL様は月亭方正さんのインタビュー記事ですが、なんやかんやで苦しんで悩んで成功した人ってかっこいいですよね。
それだけに活躍は今後の活躍は楽しみですし、市販薬であっても用法用量は守って正しく服用してお体大切にですな。
一人暮らしの頃に高熱が出て、市販の風邪薬を通常の2倍量飲んでしまった際に脱水のようなおかしい症状になった事のある私です、ぼーっとしてたとはいえあれはあぶなかった。(カプセルの薬の用法説明、一日2回を2個と間違えた様子)