可能な限りリスク軽減に努めつつ廃用症候群と戦いたいって話でした。
緊急事態宣言が全国に拡大されましたし、どうなることやら先行き不安な昨今ですが、現状、うちの子供たちは学校へ、奥さんも仕事へ、私は通常の頻度で高齢者の小規模デイケアへ作業療法士としてパートに行っているわけですが。
拭いきれない不安感ただよう中、なんとか通常営業な我が家ですが油断できる状況では全くありませんから。
用心しておかないとです。
私は視野の欠損から自動車運転免許を手放した身としてはいつも通り歩いて通勤していますが。
マスクと手洗い消毒は当然として、
左半身麻痺なだけに少し気を付ければ徹底できる部分もあるなと思いましてね。
仕事で利用者さんに接触するのはほぼ100%麻痺していない側の右手ですから。
これは、不特定多数の人が触れる箇所に触る必要が有る場合は麻痺側の左手を使うようにすればリスク減らせるなと思い立って実践していました。
具体的にはエレベーターのボタンやドアの開閉なんかは可能な限りなんとか麻痺側の左手を使うようにしてました。
これはさして重要ではないものの、自分自身にとっても場面を決めて麻痺側の左手を積極的に使う事はリハとして有効ですし。
上記事でも書きましたがこれだけ長期化していると、高齢者さんたちの場合は特に廃用症候群による筋力低下が心配になるところであったりします。新型コロナウイルス騒動が終息した頃に利用者さんたちみんな介護度が上がってましたなんぞといった事態にならんようにせねばです。
利用してくれる以上は可能な限りリスクを軽減できるよう配慮して機能維持に努めたいところです。出来ることを精一杯やるしかないですからね。
子供の視覚、聴覚の過敏さも才能に変わってくれる時が来てくれたらな~と願ってます
発達障害と診断されてだいぶたったうちの長女ですが。
聴覚刺激にやや過敏なところがあったり。
一度気になってしまうと雑音(高い音域の音)なんかが気になってやりたいことに集中出来にくいとか。
視覚刺激にもやや過敏なところがあったり。
小さなつぶつぶが密集しているものとかは目に入ったり、意識してしまうと嫌で仕方ないとか。
この辺の特性は薄れることなくいまだ苦手なままだったりします。
つい先日も、かたつむりの話が咄嗟に出て映像が浮かんでしまい困ってしまったとの事。
下のイラストのようによく見るとかたつむりの体の部分って小さなつぶつぶが密集した模様のようなものがありますよね。
これって、通常なら『かたつむり』って単語から苦手な小さなつぶつぶの密集に結びつかないだろうと思うんですが、長女の中では簡単に結びついたって事らしいんですよね。
こう言っては長女に申し訳ないが、面白い。
というのも、これはそれだけ普段からよくものを観察しているってことですよね。
『芸術家にとって自然の中に醜いものは存在しない』とはロダンの言葉だそうですが。
よく見えて、よく聞こえているがゆえに伴う感情を含む情報の処理が現状では追いつかずに本人としては困っているのでしょうから。
苦手なものの部分ではなくもう少し大きく全体を意識出来るようになれたら楽になるのかもしれないですな。
これは情報が処理しきれるようになりさえすれば一転して才能として開花するのかもしれないななどと、
ミュシャの絵画で人物の周囲に描かれた植物の精緻さなんかを思い出して考えてみたりしておりました。
本人としては相当な苦しみの中にいるので、可能な限り共感してあげつつ、サポートできるのは「よく観察出来て聞こえているだけに苦手なものが少しだけ多いんだと思う、あとは、好きな事とかを通してでいいから集中力を上げていけたらいいね」ぐらいの励ましを言う事くらいのものなんですがね。
ほめる育児もやり方が大事みたいですな。
褒める育児の危険性について、書かれていたものを読みまして。
自分が肝に銘じる為にも、忘れないよう少し書いておこうと思った次第でした。
子供のもともとの才能(頭の良さ、運動能力、芸術的なセンスなど)を褒めてしまうことで、子供は失敗を恐れ困難な課題への挑戦を避けるようになるそうです。
さらに、無批判に素質を褒め続けられた子供は自分の失敗を隠すためにウソをつくようになるというのです。
インポスター症候群、インポスター感情、インポスター体験とよばれるものがあり。
これは、だれもがうらやむような成功をおさめ、世間から高く評価されて、第三者から見て十分な能力を持っているーそれなのに自分の実力を自分で肯定できないというものを指すそうです。
このインポスター症候群、男女問わずみられるが、女性の場合は勤勉さによって自分の劣等感を克服しようとする顕著に見られ、対照的に、男性では新しい体験に飛び込む勇気に乏しく、探求心に欠け、失敗や間違いを恐れ、他人からの否定的意見を回避する傾向が強く強くなるようです。
また、実際に失敗や間違いを犯した場合には、それが発覚するのをさけようとし、時には失敗や間違いを犯してしまった自身の『本当の姿』を知られないようにするために、隠蔽工作や記録の改竄など、しなくても済むはずの虚構の構築に必死になって手を染めてしまったりするとの事。
子供の素質をただ無批判に褒める事はこのインポスター症候群になる可能性があるというのです。
優秀な人ほどインポスター症候群にかかりやすい、というのは、そのもともとの能力の高さゆえに、無条件に褒められる経験が多くなってしまうことが原因でしょうとしていました。
で、子供に何かを教えるにあたってはこれが関わり方として押さえておくべきポイントになるのかなと思いましてね。
出来ることより、その子の能力を把握した上でどの程度頑張ってそこまで至ったかの過程の努力をこそ褒めるべきなのでしょう。
子供の素質をただ無批判に『よくできました』と褒めるほうが教える側の手間が少ないのは確かなのでしょうが。
具体的にはきっとこんなちょっとした事なんだと思います。
子供の勉強をみる時、答えが間違っている部分が有ったら、間違えて書いた計算式にせよ漢字にせよ消させないで、子供が問題をどう認識していて、なんでこう間違えたか、まず理解度を把握して、教える側、教わる側で情報共有する、
「この部分までは間違いなく出来ているから、ここから先ちょっと自分でこう考え直して解いてみて。」とか理解の程度を把握した上で
チャレンジの機会を提示して、出来たらそこからののびしろ部分をおおいに褒めればいいんですし。できなかったらそこからの過程のどこでつまずいているのかまた一緒に情報共有すれば、いいんですよね。
これを繰り返して理解度を上げていって、いずれは子供が一人で工夫して問題解決していけるようにとつなげていければ最良なのでしょうね。
ちなみにこれ、実際やってみると我が家は進級したての中1と小5ですがえらい時間も手間もかかる作業だったりします。
大変ではありますが、丁寧に教えて子供ができなかったものが出来るようになれば教える側も嬉しいし、達成感が有ります。
外出自粛な今の期間なら親子で時間も作りやすいですし、しっかり子供に向き合って正しく褒められるように頑張りたいと思うところです。
褒める危険については
内の第3章「褒める」は危険~日本人の才能を伸ばす方法とは?
からでした。
長男がやらかしたので親として反省している話でした。
我が家の長男についてですが、状況を考えてみれば、友達と話す機会も十分に持つこともできず、小学校をブツ切れな感じで卒業して、予備知識も得られないまま中学校入学となれば不安感もつのりますわな~。
そもそも、反抗期で自立心がめばえてきているがゆえに、親の言うこと聞きたくないって時期に、友達との交流をたたれるわけですからね、承認欲求は満たされない、自己肯定感高められないとなるんですから大変、
当然子供とはいえストレスが溜まります。
THPというホルモンが脳内で果たす役割が大人と子供では違うのだそうで、THPはストレスを受けると放出されて大人ではこれが不安を抑える働きをもつのだそうですが。
子供では逆にTHPは不安を抑えるどころか、むしろ増幅させているらしく。
ストレス耐性が大人と比較して子供は低いようですね。
うちの長男の場合そのストレス発散がネットゲームに向かったものだから困った事になったり。
このおかしなストレス状況下でなければ、時間をかけて親子で一緒に話し合って決めたルールを守って楽しめていたゲームでしたが、少々過剰にのめり込んで、課金をしないというルールも決めた時間も守れなくなりでしたね。お金の出処も親(主に奥さん)のお財布からパチっていたふしがありこれまた困ったもの。とはいえ、身近に頻繁にじいさんが財布からお金を抜いているのを子供達も目にしてますから、
大きな罪と認識できにくければ、目先の楽しみと天秤にかけて自制が出しにくいものかもしれませんな。
ネットゲームのチャット機能で友達とコミュニケーションをとれるのが楽しくて仕方がなかったらしく。
親子で一緒に決めたルールより当然のように友達とコミュニケーション優先になっていきましたね。
ニンテンドースイッチは課金の部分も親としてはありがたい機能があって、アカウントを作成したメールアドレスに何にどれくらい課金したかが通知が来るのは助かります。
ついでに言えば、課金できないように見守りスイッチの機能でブロックしていたので本来、課金出来ないはずだったのですが。
ブロックしていたアカウントとは別のアカウントを同じニンテンドースイッチ内に作成して、そのブロックされていない新規アカウントから課金するという、なかなかに手間のかかることをしてくれていましてね。
まぁ、メールアドレスに課金の通知が来れば一発でバレることなのですがね。
お手軽に作れるのはメールアドレスの登録が必要ないキッズアカウントってものなんですが、この場合当然最初に登録しておいた親のメールアドレスに課金等の通知が来ます。
今回の場合、使用頻度の低いメールアドレスを登録していたので気が付くのが遅れたのが今回の私の敗因でしたね、その日のうちにスマホのメールアドレスに変更しました。←ネット懸賞に登録しているアドレスなので定期的に確認します。
普段なら守れていたルールをやぶって課金して手っ取り早く友達にドヤッて承認欲求を満たしたくなるのも不安感も解からんではないですですからね、親としてはフォローが行き届かなかったのを恥じるばかりですよ。
こちらの地域では4月から学校は新学期開始ししていて。
我が家の長男も中学校での新生活、着なれない制服に苦労したのも最初の1、2日程度で毎日楽しそうに準備して朝出かけて行っているように見えます。
やっぱり子供、特に反抗期の時期に友達と交流する時間が十分に持てない負担は予想以上に大きいのかもしれないですね。表面上落ち着いているように見えても不安感は増幅されて抱えきれない程度になっている事もあるんだなと思いましてね。
そんな時に上手くフォローもしてあげられずに、ネットゲームとかにのめり込むと依存よりなおかしな方向の楽しみ方になってしまいますな。
学校を開始するすることの是非についてメリットとデメリット並べてリスクはどの程度のもので、どう対応すればどの程度まで減らせるってな予測しかできないのでしょうし、事が人命に関わることであるだけに人命最優先で以外の要素は除外してのベストとなれば極論1ヶ月家から出るなとなりますでしょうが、そのほかの因子を交えて現実的に考えればベターのラインを探るしかないのでしょう。こればかりは個人がしっかり自衛に努めるしかないのかもですね。
付加価値な話でした。
https://ytranking.net/blog/archives/24220
上URLは、DaiGoさん自身過去に『転売による小銭稼ぎ』を堂々と推奨していたんですよ、とするライターの発言を紹介していて、その週刊誌記者を訴訟するというものですが。
上記事の中に、
2年前の動画でDaiGoが「オークションを例に出し『まだみんなが価値を見出していないものでそのへんにいっぱいある物を売るといいよ』と断言している。」として、転売を「推奨しているように思えてしまいますね」と結論付けました。とあるんですが何でこれが転売推奨見とれるんでしょう。
人の発言って曲解しようとすればできるものなんだな~と思いましてね。
『まだみんなが価値を見出していないものでそのへんにいっぱいある物を売るといいよ』って発言の意図は私には現状多くの人がが価値を見いだしていないものに自分の自分の知識でもって新たな使い道だったり加工方法だったり、でもって付加価値を加えて売れれば良いねと言っているように思うのですがね。
付加価値でそのへんにいっぱいある物の価値が大きく変わった極端な例ですが。
ボーキサイトなどは言わずと知れたアルミニウムの元となる鉱石ですが
https://www.aluminum.or.jp/basic/alumiprocess.html
加工方法が確立される事で価値が大きく変わったものです。
ダイヤモンドなんかも加工技術が確立されるまでは工業用として用いられていただけで高価な石ではなかった頃もあるそうですしね。
加工技術が確立された後の商業的な戦略としても上手く売り出した石のようですね。
実際には一定の方向からの力によって割るし、炭素なので燃える、でもコピーは『永遠の輝き』うまいコピーと流通のコントロール、値段の高さは必ずしも希少価値によるところでもなかったようですな。
そのもの自体は変わらず、所変わって価値が変わったものもあります。
浮世絵などは現在では世界的に価値を認められていますが、もともと大衆芸術として多く作られていたものだけに国内では、大切に長く保存されることは少なかったようですね。
ですが、
鎖国が続く江戸時代、唯一の貿易先のオランダから西洋に陶器などを輸出する際、緩衝材として浮世絵で包まれていました。
その浮世絵を見た西洋人は、その独特の色彩と構図に驚きました。
そして1867年、フランスのパリで開催された万国博覧会に日本の工芸品や浮世絵が多数展示されると大きな反響を呼び、日本趣味、いわゆる”ジャポニズム”ブームが巻き起こりました。
これもまさにみんながまだ価値を見出していないものでそのへんにいっぱいある物が新たな価値を獲得した例のように思えます。
で、私自身DaiGoさんの著書は好きで何冊も読ませていただいて。
『まだみんなが価値を見出していないものでそのへんにいっぱいある物を売るといいよ』の意図するところは、
歴史的な物で言うならボーキサイトやダイヤモンド、浮世絵なんかのように付加価値によって価値が大きく変わるというものを指しているのかなと思いましたが。
現状ある物の価値に何も加えることなく、むしろ流通の流れを滞らせる転売推奨という発想は著書と照らし合わせると違和感が大きいし発言をこうも曲解されたら面白くないのは必然と思います。
4月10日からは弘前公園自体を閉鎖する事に決めたみたいです。
今年は、桜まつりは中止になり。
4月10日からは公園自体を閉鎖する事に決めたみたいです。
下画像はR2年、4月6日の外堀の桜の様子なんですが。
この様子では、数日天気がいい日が続いて気温が上がればいつでも咲きますよってな感じですな。例年なら無条件で嬉しくなるところですが、今年ばかりはそうも言っていられませんですな。
閉鎖するのを知った時は、ビックリしましたが、考えてみれば確かに、来週あたりにはこちらの桜も開花すると予想されてますから。早めに準備して起こりうる感染拡大を予測して抑止の方向に行動を起こしてくれて感謝しかないですね。
閉鎖しなければ、甘く考えて公園でお花見宴会をする人達も出た事でしようからね。
桜が咲いたら人がいない弘前公園の桜のライブ配信するみたいですし、今年は観光産業大打撃を受けるであろうなか自治体が先を考え手をうって頑張ってくれていているのは誇らしいです。
みんな耐えて頑張ってます、自粛もながくなって確かにクサクサした空気感は有る様に思えますが、先につながる出来ることを頑張ってくれている人達がいると実感できると自分も頑張らにゃ~な~とおもえますね。
嫌いな相手を少ないダメージでどうにかやり過ごす一つの方法論ってくらいの話でした
心の有り様も大きく三原色に分けられて、その比率と配合が個人によって違うのだと私は思うのですよ。
あくまで私基準の勝手な三原色のフザケた分け方ですが。
・フサフサ
・ハゲ
・ハゲぞこない
です
※はじめにも書きましたがあくまで心の有り様の話で外見の話ではありません。
フサフサに関しては、周囲の人に迷惑をかけずに上手くストレスを消化出来る人。当然ながらこうあれるのがベターな事かとは思います。
ハゲについてはストレスの発散が苦手で内に溜め込んで。自分が辛いタイプの人ですね。ちなみに私はかなりこのタイプ寄りだったりしますね、ストレスの発散苦手です。若い頃も休日は溜め込んだ家事が早く終わってしまったりしようものなら何をしていいのか解らずに職場に書類仕事を終わらせに行ってみたりしてました。そんなだから若いうちに大きな病気したりするんだよな〜と今頃になって反省してみたり。
ハゲぞこないについては、本来自分が負って当然の負担を周囲の人に転嫁して逃げを打つからストレスが少ないタイプですな。なにげに結構いるというか嫌な奴なのでいやでも目に付くから目立つ。八つ当たり的に関係のない人に当たり散らしたりできる人ですな。
でまぁ、うちの長男みたいに溜め込んで、定期的にやらかす、ハゲぞこないが混じったハゲもいるかと。
次女なんかは常軌を逸したかまってちやんでこのまま成長したなら、無自覚で自己中心的に周りの人に迷惑をかける困ったハゲぞこないちゃんになりそうだな~と、こりゃ何処かで軌道修正図れなければ本人のためにならんとなやんでみたりしてます。
脳科学者さんの著書なんかを読ませていただくと、
セロトニントランスポーターの少ないタイプの人は、正しく無いと感じた対象に対しては自身が損失をこうむっても罰を与えようとしたがる傾向がある。
サイコパス気質の強い人は、人の気持ちは理解や共感はできないが、人の表情などから感情を予想してわかっているかのように振る舞う。
その他、理屈で根拠を補強できなくもないのですが。
なんで人をそんなおかしな分類でみようとするかというと、人をそういう人だからという先入観から入ってみることの危険性は理解しているつもりですが。
そう扱われ続ける、「苦手だと」言われ続けるたりすると本当に苦手になる。
ナポレオンも人は着せられた制服に見合った人間になると言っていたそうですがこれも先入観の危険性の一部を表しているように思えたりしますしね。
でまぁ、
何が言いたいかと申しますと子供の頃嫌いな先生に面白いあだなを付けたりしませんでしたでしょうか。
私はよくあだなを付けたりしたんですが、そうすると嫌いで人間関係に真剣に悩んでいても少しとはいえ真面目に悩むのがアホらしくなったりしました。
最善はコミュニケーションスキルを磨いて嫌いな相手とも良好な関係を築けるまで話す事なのでしょうが。
苦手な相手と距離を置きつつ自分のメンタルを守ってやっていくには、『あいつは苦手ではあるがハゲぞこないだししかたないかな~』とか当然口に出さないまでも、深刻な言葉を使わずにあえて茶化して考えるだけでも真面目に悩むのがアホらしく思えて楽になれると思いましてね。
私は自分の精神衛生のためにそうしてますって話でした。