外仕事 無理ない範囲で 頑張らず
外で活動するのが気持ちいい季節です。
整形でも作業療法士してた経験から、体に負担がかかりかねない活動は少なめぐらいの目標を立てて行ってほしいなというお話です。
作業療法士も長くやっていると患者さんのいろんな話をしたりしました。
患者さんの主観に頼った訴えは具体的に聞かないと実際の負荷の部分を見落とす事も有ります。
『肩痛いんだよね』、『何か痛めるような事をした心あたりは有りませんか?』、『特にないけど庭の細い木は切ったよ。』この細い木について具体的に聞いてみると『あなたの腕くらいの太さだったかな』と言うのです。まあ成人男性の腕くらいの木は大木とは言いません、が家庭用のノコギリで切り倒すにはかなり体に負担がかかったのではと思いました、高齢者の方は多いですね、ほかに庭仕事が好きな方なんかも、『ちょっと草とりしたら腰が痛くてさあ』、このちょっとを詳しく聞いてみると、畑一面だけだよとか朝から始めて昼少し前には終わったよ、この場合の畑一面も『畳で何畳くらいの広さだったのですか?』ってな具合に具体的に聞いてみると『16~20畳くらいかな?』とか当たり前のように返ってくることが有ります。
この辺は疑問に思って、仕事を何回かに分けるなりして、痛みが出ないように工夫してみてはいかがでしょう、とたくさんのケースに対して提案してみました。
まあ、聞き入れてもらえませんね。
誰にどうこう言われるわけではなくとも、日本人的な生真面目さなのか、一区画なら一区画キッチリ終わらせてしまわないとどうにも満足できないと皆さんそろって言いますね。
たとえ途中で体が痛くなっても、仕事してるときは仕事を終わらせることが優先なのだそうです。
※実際の会話は印象深くて覚えてはいても、一応医療職には守秘義務がありますので書けません、なので上の会話文は私の創作による部分が大きいです。
こんな感じの意味合いととらえていただきたく思います。
虫歯と肩こり、脚長差と腰痛
一週間程度継続して奥歯がかなり傷んだ様子のうちの奥さんです。
で、歯が痛いと痛みを少しでも和らげようと首を傾けた姿勢を継続的にとったりします、そして日常的にその姿勢のままで動きまわったりします。
その首が支える頭の重さは個人差は有るものの、その人がボーリングで使う玉の重さ程も有ると言われています。
偏ったかたちで一側にこの重さの負担がかかったらやはり首肩の痛みとしても現れますね。
今回のように根本原因が虫歯であれば解決は歯痛(虫歯)の治療になるので、比較的容易に問題解決できたりします。
子供の頃に脚を骨折したのが原因で左右の脚に脚長差が2センチ程度生じて姿勢に悪影響を与える場合などは、これは体幹部分でどうにか修正するしかありません。
若い頃は特に問題も起こりませんでしたが、腰痛などにつながり易くなります。
ので、子供の頃骨折して脚長差が有るうえに左半身麻痺の身の上としては、体幹は意識して鍛えないと仕事も生活もままならないところなのでした。
で、結論ですが。
痛みの因果関係は色々です、虫歯の痛みを避けたくて姿勢に悪影響が出て痛みにつながる事もあるし、子供の頃のケガから左右で脚長差が生じてそれが原因になる事も有ります。
環境因子の場合も有ります。
私自身、自分の脚長差に気が付いたのは作業療法士になってからでしたし。
こうも様々な要因で痛みが出たりすると、なかなか原因特定に至るまで時間がかかったりします。
ただ、原因の特定さえできれば、痛みを緩和して過ごしやすく生活をおくれるように支援することもまた可能です。
杖の使い方も場合によっては痛みの原因になり得る
杖は基本的には自重をある程度免荷してくれてバランスを補う意味で非常に助かる道具です。ただ、その長さ設定を含め正しく使わないと逆に痛みの原因になったりもします。
まずは正しい杖の高さですが、立ち上がって地面から足の付け根あたり(大転子)とされています。
私は左半身に麻痺が有るので、普段杖を使って歩く際には右手の杖と左足を同時に出して、次に右足を出す、この動作を繰り返して歩いています。
ここで、杖の高さが合わないと良くない、というのも、外出しなくてはならない日に雨の予報だったりすると、傘を杖代わりにして歩いたりするのですが、これで長距離を歩いたりしますと、痛みが出る場合が有ります。
この場合、傘は私の杖より5cm程度は低いです。
当然荷重割合は大きく変わりますので、問題になるのは麻痺側膝の内側への荷重割合が大きく増加することです。
結果、麻痺側膝の内側に痛みが出ます。
痛みが出ても休ませつつなら、さほど長引きもしませんし問題は無いのですが、
合わない高さに設定した杖を継続的に使用して痛みが出てしまっている場合は、長引く可能性もあるなと思いまして。
ここで私の場合の良くない要因その2ですが。
私は仕事に行く時はA4サイズの書類などの荷物が多いので大きめの肩掛けカバンを使っています。
当然麻痺していない側の肩に掛けているのですが、暑くなってくると熱中症対策に飲み物も入れて持ち歩くので、それなりの重量になり、より重心は偏ります。
ある程度体幹は鍛えているつもりですが、不十分のようですね。
結果、麻痺側内側により偏った荷重負荷が加わり痛みが出易くなります。
原因の特定さえできれば、カバンの荷物を出来るだけ減らす。傘を持ち歩く必要がある時はいつもより姿勢に気を付ける。
体幹筋と膝関節周囲筋の強化を図る。
等の対策が取れるので、原因の特定さえしてしまえば対策自体は
要因からの逆算で取れますって話でした。
離婚が無い都市について
離婚が無い都市が実在するみたいですね。それは北イタリアに有るダマヌールという自治都市なのですが。ダマヌールは新しい生き方を模索している研究都市で自国の通貨も持っている独立国なのだそうです。なぜダマヌールでは離婚が無いのかというと、そもそも結婚が1年契約で、更新有りという制度のようです。毎年の結婚記念日にどちらかが『更新はしません』と言えばその契約は終了になるという事みたいですね。
この北イタリアに有るダマヌールという自治都市には離婚が無いというのは少し前に読んだ本に書いてあったのですが最近あらためて面白い発想だと思いまして。
※『幸せになるため捨てるもの』 中野裕弓著 日本文芸社 2012年 10月初版で読みました。少し古めの情報なので、ダマヌールについて、新しい情報を補いたくてもう少しネットでも少し調べてみたら、少しスピリチュアルな内容に偏った情報が多かったです。
『結婚更新制 ダマヌール』とかで検索すると上記情報に近い内容に行きつきます。
今回こんな内容の事を書こうと思ったのは、最近いろいろなところで結婚という制度自体が旧時代的なもので。
そもそも一次産業が産業の主体であった時代には確かに『結婚』は合理的な良い制度であったかもしれないが、産業の主体が変化した現在、『結婚』のシステム自体も変化するか、もしくはとらわれないかたちが有ってもいいのでは?
ってな内容の記事を様々なメディアで見かける機会が増えたもので、あらためて思い出して読み返してみた次第なのでした。
私は自身が医療職なもので、少し思うのは。
経済的自立度が高く、一度離職しても求人も多い看護師さんの離婚率は確かに高いように思います(複数要因有るかと思いますが)。
『人』という字はお互いに支えあっていると昔から言いますが、明らかに一画目は二画目によりかかって楽してますよね。
どちらかが相手に依存する関係にならないよう、経済的な面であったり、育児、家事であったり、お互いに出来る事を率先してやる。
お互い相手に必要とされる存在でありたいですし。依存しない自立した魅力的な個人として有りたいものです。
もし将来、結婚の制度が毎年更新制になったとしても更新したいとお互いに思えるような夫婦でありたいものです。
私自身はと申しますと、重病をして半身が麻痺したため、収入面では障害厚生年金を計算に入れても収入的には以前の半分以下ですから、経済的な依存度は高いですね。
それでも出来ることを日々考えて時間の密度を濃くするようにしてはいますが、主に知識を得る事に偏りがちなので好き好んで本読んだりしてるだけとも言えます。
育児に関しては積極的に出来ていますが、どの程度意味の有る事が出来ているやら。
結論ですが、時代の変化の読めない昨今。
私に出来る事など無いに等しいでしょうが、自分の時間を有効に使って子供たちの為に実験をしてみることくらいかと、障害厚生年金も見かたによってはベーシックインカムに近いと言えなくもない収入形態ですし。ある程度の収入が確保されたなら、追加での不足分の収入源はどうするか何が出来るのか等、自己実現の方法は等、調べて想像するのはとても面白いです。
面白いことを、楽しんで、できるだけやってみようと思います。
実行して成果をあげれていない現状では、ただのダメなトーチャンですが。
努力を努力と思っている様ではまだまだなようなのですよね。↓
結論の補足のようになりますが、日本という国自体が色々な国の色々な制度を必要に応じて取り入れて組み込んできたものの、様々な要因から上手く回らなくなっている部分もあり。今後は制度もベストなかたちに最適化されていくのでしょうから、その中には結婚制度も含まれるのかもですね。
体が不自由だと歩いている時に宣教師さんによくつかまります。
体が不自由だと勧誘に、すぐ立ち去らないと思うのか?
不幸そうに思われて本当に神の救いを必要としているように見えているのか?
理由は不明ですが、たびたび勧誘くらいます。
キリスト教系の方が多く、自転車で2人一組なんて事が多いです。
とても人当りの良い、外国人の方たちで日本語も本当に上手です。
時間が有るときにはついつい話を聞いてしまいたくなります。
が、いただいた本や教えてもらった教会の名前、場所から調べてみたら、これがなかなか。
キリスト教が認定した三大異端
ってやつに含まれてる宗派じゃないですか。
以下の3つが三大異端として挙げられているらしい。
- エホバの証人
- 世界基督教統一神霊協会(統一協会)
- 末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)←私が度々勧誘くらうのはこの方々
異端の宗派だから、実際に会って話した人当りの良い外国人の兄ちゃん達もうさんくさいに違いないとか、決めつけるつもりは無いんですがね。
ちょっとこのモルモン教ってのは調べたところ収入の1割を寄付しないといけない、とか嗜好品の類はコーヒーもダメ等々色々大変なようなのです。
お布施は仏教的にも煩悩物欲を喜んで手放す、徳を積む行いですから良い事なのでしょうが義務化は好きになれません。
生活に余裕のない貧しい人々にこそお布施をする機会を持ったもらえるように家をまわるようにとお釈迦様も言ったと言いますが、これは人に分け与える喜びを理解してもらえるようにって意図だと説明されたように思います。
結論ですが、布教してまわっている外国人の兄ちゃんたちは厳しい宗教的な戒律を守って生活している良い人達なのかもしれません、
ただ家族がいる身としてはどうにも、このモルモン教って宗教は気軽に一歩踏み出せるような気軽なものでは無いと感じます。
昔話の感想で兄妹の意見が真っ向から対立したのが不思議でした。
そもそもがうちの子供たちなかなか布団に入っても寝つきが悪くて小さい頃から昔話の読み聞かせをしていたのですが。
日本、世界の昔話に各地の民話まで取り揃えてくれているこちらのサイトを私はほとんど全て読み聞かせしました。http://hukumusume.com/douwa/
中でも兄妹の意見が真っ向から対立して議論をはじめたのが下の
『安珍清姫』でした
http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/06/06.htm
雑にかいつまんで概要を、
むかしむかし、安珍という若いイケメンのお坊さんが、紀州(きしゅう→和歌山県)の熊野大社(くまのたいしゃ)へお参りに行く途中、お金持ちの家で宿を借りました、その家の娘さんが清姫です2人は仲良くなり、安珍はお参りに行ってきた帰りにまた立ち寄ると約束しました。
安珍はお参りに行った熊野大社でも清姫が気になって仕方が無かったらしく、成果を得られずに帰ることになりますが、帰りにまた立ち寄るという約束を破ります。
約束を信じて待っていた清姫は安珍を追いかけることに、ひたすら追いかけ最後には船に乗って逃げる安珍を大蛇になって追いかけて追い詰めます。
追い詰められた安珍は寺の釣り鐘に隠れますが、大蛇になった清姫は口から火を吐いて
釣り鐘ごと安珍を焼いてしまいましたってお話なんですがね。
長男の主な主張は、安珍殺されなければいけないほどの事したかい?ってな感じでした。
長女の主な主張は、約束破るやつがどう考えても悪いでしょうってな感じでした。
議論が白熱するといつまでも寝てくれないので、お父さん判定として、どっちも悪い、ウソついたらケンカになるのは当然です、だからって暴力で仕返しするのもダメです。としてひとまずは場をおさめました。
私としましては、同じ話を聞いて、同じ環境で育った長男、長女の感想の違いは、子供達それぞれの融通の利きにくさや、生真面目さなんかの色んな特性の違いに有るのかなと面白くも不思議に思ってしまいました。
昔話の読み聞かせからも、子供の特性や性格などなど色々読み取れるものだと思いましてね。
マルハナバチが飛べる理由
出来ない理由を集めて行動しないより、出来る可能性に目を向けて挑戦したいって話です。
このマルハナバチですが、飛ぶぬいぐるみなどとも言われる、大きな胴体に小さな羽、ふわふわの毛の愛らしいフォルムをしたハチです。
航空力学の理論では飛べるはずがないとされていたのに、実際には飛べるのです。
この根拠として、ごく最近まで『マルハナバチ自身は、自分が理論上飛べない事を知らないからではないか』と大真面目に言われてきました。
そして、誤った確信が自身の限界を作っている例として、ビジネストレーナーの多くが頻繁にこの話を引き合いに出していたそうです。
そして、なぜ飛べるのかホントのところがだいぶ解明されてきているようです。
(人や飛行機のような)大きなサイズの物体にとってはサラサラと「粘度」を感じさせない1気圧の大気中も、(虫のような)小さなサイズの物体にとっては(例えば)水のような大きな粘度を持つ環境とみなされるということです。そして、マルハナバチやクマバチはこうした環境を利用して、「はばたき」によって上手に空気の渦を作り出し、その渦に乗って垂直上昇や下降をしているということです。
虫たちにとって、空気はもっと(ある意味)粘っこいものであり、それを羽根でかき分け、かき回すことによって空中に浮かんでいるということになるのでしょう。
マルハナバチ自身は人間が自分たちの何を疑問に思っているのかなど知る由もなく自然に飛んでいるのですから変わったのは人間のマルハナバチに対する理解度だけなのですがね。
誤った確信が自身の限界を作っている、誤った確信を取り払おうって考え方自体は何でも理屈で解決してしまうよりも私は好感が持てます。
仮に全てが科学的に解明されてしまったら、『無理なものは無理』と決まってしまいますものね。それはとてもつまらないように思います。
その場合の『無理なものは無理』も航空力学のものさしでマルハナバチの飛行をはかった場合の無理ではないのか検証しないとですよね。
昨今、医療の現場では『無理なものは無理』、『低確率ではありますが事故は起こります』など医師から訴訟を避けるためでしょうが説明を受けます。
私自身も医療職ですので、医療行為に対しての説明と同意が重要なのは理解出来ます。
患者経験も豊富な身としては、多少これらの説明、深刻にならずに聞くことも必要かなと思ったり。
というのも、私自身脳出血術後に一生車椅子の生活もあり得ますので、と説明を受けましたが、今は片道3キロの道のりを歩いて、パートとはいえ作業療法士の仕事をしに行けています。
出来ない理由を集めて行動しないより、どうすればできるようになるか、今すぐに無理なら将来的には可能にならないか出来る可能性に目を向けて挑戦した方が楽しいしワクワクしますよね。