麻痺していない側の脚の疲れやすさ対策の一つとして立体構造のインソールを使っています
そもそも足の「アーチ」とは
とてもざっくりとですが、これは「足の骨と筋肉などから形成されている弓なり状の構造」のことを言います。足にはこのアーチが3本あり、これらの頂点3点で体重を支えています。
アーチが崩れると足にかかる衝撃を和らげることができないので、足が疲れやすくなります。そして上の方へ衝撃がダイレクトに伝わって膝や腰へも負担が。原因不明の膝痛や腰痛は足からきていることも考えられます。
https://www.caresoku.com/chiebukuro/2018/09/post-7.html
まず↑URL様より引用させていただき、足の「アーチ」について記載させていただきました。
で、私のように靴の中に履くタイプの金属支柱装具を使用していますと麻痺していない側の足も結構疲れやすいって話がしたいのです。
上の画像の金属支柱装具を付けて靴を履くことになるので。
私の本来の靴のサイズは27.5㎝なのですが、現在は左右30.0㎝の靴を履いています。
もちろん、麻痺していない側は出来るだけ靴紐をきつめに絞めて。
のびる靴紐も使っています。
立体構造のインソールを使用する(カップインソールと言われたりも)等の工夫をしています。
この立体構造のインソール一般の靴屋でも購入可能なのですが、先に記載した足のアーチを保つために土ふまずのところが高くなっている、足のアーチを保つ補助をしてくれるものを選べば非常に効果的かと思います。
麻痺していない側の靴にだけ使ってみた実感としても
疲れにくさに関しては全く違うように思いました。
麻痺側に装具を着用するので。
麻痺していない側の足の靴のサイズの調整
麻痺していない側の足の足アーチを保つ補助
麻痺していない側の脚長差を補う
などの理由で立体構造のインソールを麻痺していない靴に使っていますが
この立体構造のインソール、靴屋さんにせよ通販にせよそこそこ値が張るので、片方で売ってはくれないものかと思います。
装具屋さんなんかで、より機能的なものを開発して、
片方売りしてくれたら非常にありがたいのですがね。
夏休み恒例イベント(子供たち企画のおでかけ)
わが家では、夏休み恒例イベントとして子供たちと一緒に映画を観に行きます。
毎年の恒例としては。
仕事がパートの私が平日の休みの日を予定して計画。
私は自動車の運転が出来ないので、バスを利用して映画館まで行きます。
家の最寄りのバス停の時間表や、乗り継ぎのバス停時間表、映画の上映時間など必要な情報は子供たちと一緒に調べます。
どの時間の上映に間に合うように映画館に着きたいか考えて、時間を逆算して、出発時間から子供たち主導で計画して行動です。
当然、計画が甘かったりする事もありますが、そこは休みの日ですし、計算違いや失敗も流動的に動いて楽しむ姿勢で、思いどうりの時間に着かなくても、先に昼ご飯を食べるなり、映画館のおみやげコーナーの散策をするなりして楽しむようにします。
必要な交通費は事前にあえて子供たちに渡しておきます。
これにはわけが有って、今ではしっかり者の長男ですが、以前に都度、都度、次に必要なバス代を渡していたら、あまり自分で考えずに予算を使いがちなようであったのです、目先の誘惑に負けてガチャガチャに次のバス代を使い込んだことも有ったり。
対して、行き帰りのバス代とまとめて渡すと自分で計算して、一貫して子供が自分で管理できているように思いました。
この映画を観に行こうプロジェクトですが。
毎年観るのは『ポケモン映画』になります。
劇場配信で手に入るポケモンが有って。
おみやげがわりにもなり、帰ってからもゲームで楽しめるのでお得なのですよ。
私もゲームはやるので、子供たちと毎年映画に行ったいい思い出になります。
今年に関しては久しぶりに奥さんが平日のお休みが取れたので、上の毎年恒例のプランではなく、行き先は映画で同じなんですが。
(次女は幼稚園に行っているのでさほど時間もない)
普段次女にかかりきりになる事の多い奥さんも一緒に夫婦と長男、長女の四人のお出かけプランにしました。
いなかにいると移動手段が自動車一択になりがちのところを、バスなど他の移動手段も経験させつつ。
予算(交通費)や時間を、子供たち主体で考えて計画して実行する機会にしていましたが。
うちのように上の子たちが反抗期になって、さらに下の子がまだ小さくて手がかかるとなると夫婦と長男、長女の四人で外出できる機会も貴重になります。
移動は奥さん運転の自動車になりますが、毎年恒例のプランにゲストわく参加の奥さんをどうもてなすかを今年は子供たちと計画ですね。
まあ、(時間制限から)せいぜいが、映画館周辺の飲食店を子供たちとリサーチして奥さんに選んでもらうくらいですが。
と、計画しつつ四人で出かけてきました。
毎年前売り券購入で手に入るポケモンがあるので、映画の前売り券を買っているのですが。今年は買い逃してしまって、映画館で当日券を購入しました。
で、イオンシネマに行ったのですが。
映画館でも身障者割引があるのですね。
しかも、付き添いの人も一名同額。本人、付き添い共に1000円でした。
これはお得、ありがたいですな。(ちなみに購入時、入場時等に身障者手帳の確認等はありませんでしたが、まぁ、係の人に教えてもらいつつ券を買いましたし、私の体が不自由なのは見た感じでわかりますしね)
この4年は続けて毎年ポケモン映画を観に行っている、わが家ですが、毎年あった劇場でのポケモンの配信が今年はありませんでしたね。
特典はポケモンカードゲームのカードとガオーレディスクでした。
今年の映画自体は、昔の作品のフルⅭGリメイクでしたが、内容知っているものの、おもしろかったですよ。ピカチュウがフサフサしてました。
意識的にキレるってなんだろう?
和佐大輔氏や、堀江貴文氏が著書の中で意識的にキレると書かれていましたが。
どうにもこの『キレる』って行為は、以前まで私は感情的で衝動的な行動のように思っていたので、『意識的』と『キレる』が結びつかなくて、ふしぎに思っていました。
この意識的にの意味は戦略的にキレるって事であったのかな、
と脳科学者中野 信子氏の著書を読ませていただいて理解できたように思えました。
『キレる!脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」』 脳科学者中野 信子著 小学館新書 の中に、
戦略的にキレる言葉の運用術の項目がありまして。
誰も損をしないキレ方は大きな武器
たとえとして
「あなたのそういう言い方ってちょっとおかしいと思うんですよね」と言いたいときに、様々なパターンを言葉をストックとして持ち合わせていることは、今後の人生にとってきっと大きな武器になるはずです。
「お前のやっていることはむだなんだ」といじる上司がいたら。
「今この時間のほうが無駄じゃないですか」と言ってみる。
もしくは、言いたいだけ言わせて、「そろそろいいですか?時間がもったいないんで」と正当な意見を言って相手に気づかせるのも良いでしょう。
言い返さなくても、短い言葉でパッと終わらせるのが上手な人もいます。「はい、以上!」と本質だけ言って終わらせるのです。
フッとため息をつくだけで、相手の戦意を喪失させる人もいます。
自分に合った切り返し方があるはずです。
共通しているのは、こういう切り返しの仕方は誰も損をしません。
相手が傷ついてしまい、誰かが損をするキレ方は悪いキレ方です。
誰も損をしないキレ方があるのです。
誰も損をしない。でもきちんと自分の言いたいことを伝え、不当な攻撃から自分を守る。そういうコミュニケーションが上手な人を見つけて、学びましょう。
理不尽な攻撃をかわしつつ、チクリと相手に軽く反撃する言葉をたくさん増やし、練習し、自分のスキルとして身に付けていきましょう。
と紹介されています。
その場しのぎ的にがまんするのではなく、必要な主張をしつつ相手も傷つけない、誰も損をしない上手なコミュニケーションスキルを身に付けましょうというのは私にとっては新しい発見のように思えてありがたかったです。
対個人の例が紹介されていましたが。
先述した和佐大輔氏や、堀江貴文氏は著書を読ませていただくと、対集団に対して上手く統率、運営するための手段の一つとして必要場面でこの『キレる』事をスキルとして用いているように思えます。コミュニケーションスキルの高さ、日本語の運用力の高さがうかがえますね。
(左半身マヒですが)今年こそは走れるようになる‼
『今年こそは走れるようになる』
これを目標にして、あきらめずに手を変え品を変え色々取り組むこと、もう3年くらいにはなりますかね~。
あきらめる気はサラサラないので、今年も面白おかしく頑張りましょうかね~と思っていたらもう今年も7月終わりそうですな。
真剣さが足りないから目標達成出来ないと、お思いかもしれませんが。
トレーニング自体も好きなので趣味のような感じで努力の過程も楽しんでいます。
(言い方を変えれば芸の肥やしってやつですな)方法を検証する楽しみが有ったり。
で、金属支柱の短下肢装具使ってますが去年は支柱が折れました。
装具屋さんに修理お願いする時に聞きましたが、チタンの支柱はたまにではあるが折れることがあるそうです。
比べるとアルミ支柱はめったな事では折れないと話してましたね。
それにしても折れる事有るんな~とつい笑ってしまいましたね。
さすがに支柱が折れるのは珍しいらしく、一年経っても、装具屋さん私の事を覚えてましたね。
装具に関しては現状走る事を想定したものは無いよ、と教えてもらえました。
耐久性の面の向上を考えるとどうしても重量が増加してしまう事が原因みたいでした。
いろいろやってきたので筋力的な部分はある程度クリアしているかと思うのですよね。
『ウエーブスライダー』を購入したのも左右の重心移動がもっとスムーズに出来るようになればあるいは走れるかと思った事も理由として大きかったです。
腕の振りに問題アリか?肩甲帯の動きがいまいちだな、とフォームを直してみたり。
最近はあえて速度を気にしないでフォームの修正だけに集中してみたりもします。
走るとなると両方の足が一時的にとはいえ同時に地面から離れないといけない訳だから、両脚飛びもトレーニングに加えてみよう(案の定、両脚飛びはいまだに苦手です)など。
今年もいろいろやってみています。
体幹、下肢筋はストレッチも含めてキッチリトレーニングしているつもりなのです。
杖なしでタイムを計りつつフォームを調整して少しずつでも、『早歩き』を『走る』にできればと思っても、タイムは確実に早くなるもののあくまで『早歩き』なんですよね。
やっぱり麻痺側下肢の随意性がもう少しあがらないと『走る』のは無理なものか?。
と、モチベーションが下がってしまったりしつつ、
デパートの地下通路なんかに有る動く歩道を早歩きで進んだりすると走るイメージがつかめた気がして、やる気が回復したり、我ながら単純です。
去年の夏ぐらいに子供たちに走れるようになろうと思いますと宣言しましたが、以降、特に長女が外出時にはよく『腕の振りがいまいち』とか『脚があんまり上がってない』とかコーチをしてくれるので、これもまた楽しくて。助けられてますね。
今年中に走れるようになって要因を分析して記事を書きたいです。
できなかったら、それはそれで来年に持ち越すだけです、いずれ必ず達成します。
依存とマインドフルネス
私は作業療法士ではありますが精神分野は学生の頃実習で学んだ程度なので学び直しです。
依存(いそん、いぞん、英: dependence)とは、身体的依存を伴うもしくは伴わない、薬物や化学物質の反復的使用である。行動的依存、身体的依存、心理的依存は物質関連障害の特徴である。
日本語ではアルコール中毒、薬物中毒のように、中毒と呼ばれることも多いが、現在医学用語として使われる物質の毒性に対する急性中毒、慢性中毒(Intoxication)は、依存症とは異なる。
関連の用語として嗜癖(しへき、英: addiction)とは、物質使用を繰り返し、使用量が増加し、使用できない状態となると重篤な症状を呈し、使用に対する押さえがたい衝動が高まり、身体的・精神的悪化に至る状態である。
渇望が生じている状態を「依存が形成された」と言う。依存は、物質への依存(過食症、ニコチン依存症やアルコール依存症といった薬物依存症)、過程・プロセスへの依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)、人間関係や関係への依存(共依存、恋愛依存症、依存性パーソナリティ障害など)があり、重大な精神疾患にいたるケースもある。
ウィキペディアから引用させていただきました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87
内面の満たされなさが原因となって何かしらの依存におちいるというのはおおいに有る事のように思います。
『内面の満たされなさ。』って言葉自体がチクチクくる響きです。
おおいに身に覚えが有りますな。
私などは、どうにも、でかい病気をした当初などは特にでしたが無力感から、人に積極的に関わる事に苦手意識を持つようになりましたね。
以前から『禅』関連の本なども好きでよく読んでいましたが、
『マインドフルネス』は、よりロジカルで腑に落ちやすい印象です。
『内面の満たされなさ』、これは私のイメージですが。下に自分にやさしくなる方法について記載しましたが、現状何かしらの理由が有って自ら戒めている部分のルーツをたどる行為になるので、痛みの原因になっているトゲを見つけて抜いてケアすることで『自分にやさしくなれて』結果として『内面の満たされなさ』が解消されることにつながるのかなと。
自分にやさしくなる方法について
・ゴールをなくしてみる。
・「こうでなくちゃ」(完璧主義をやめる)。
・いつもベストでいられない自分を許す(「ま、いいか」と言ってみる)。
・鏡に映るじぶんへ「よくやってるよ」「おつかれさま」と声をかける。
・ほめられたら「ありがとう」と言う(検挙さと自己卑下をはき違えない)。
・人からの批判としょうさんを額面どおりにとる(過大、過小にとらない)。
・親との関係を振り返る(じぶんへの厳しさのルーツがそこにあるなら、親と話す、自分が自分の親になる、などルーツを書き直す工夫をする)。
・自分をケアする(爪を切ったり、ご褒美をあげる)。
・主観的、社会的バイアスの色メガネをはずす(「日本人は自分を抑え、調和をみだすべきではない」、などの一定の価値観に縛られていないか?)。
・ありのままの自分を受け入れる。
私の場合は両親とのかかわりが原因する部分は大きいようです。
マザーテレサは言っています愛情の対極は憎悪ではなく、無関心であると。
親が嫌いというより端的に関わりたくないってのが正直なところであったり。
私はきっと親に対して興味関心の一切を持てないのですよ。嫌いなものは嫌いな原因が改善されればどうにかなりますが。残念ながら、無関心はどうにもなりませんね。
あとは固定観念に縛られている部分も大いにありますね。
自動車の運転が出来なくなったとか、収入が以前より大きく減ったとか。
当然父親として夫としての負い目は感じます。
ただ、そんな場合でも自分が自分の親になる、社会的バイアスの色メガネをはずす、という方法も記載されてましたし、必ずしも直接的、根本的な問題解決にとらわれる必要はないようですから、地道にダメージを修復したいです。
といっても具体的にすることはたいしたことではなく、
育児楽しんで良い父親像を作るようにする。
あと以前(病前)の自分と比べるのをやめるとか。
~が出来ない私は価値が低い。
役に立てない私は価値が低い。
など、責めないようにして自分をいたわるようにするとかです。
ようするにすりこまれた価値観の上書きです。過去自体は変えられなくても考え方次第で過去に対しての現在のとらえ方は変えられるってことですね。
『ちょっとした不審者騒動』が増えたのは地域のつながりが弱くなったことも原因かと思ったり。
不審者と一般の人の境界線ってのはどこにあるのですかね?
小学校の先生が言っていましたが『みんなに挨拶しなさいと教えたい、しかし子供たちの安全を一番に考えなくてはいけないところもある』と言う言葉がどうにも心に残っておりましてね。
親(おや)は無(な)くとも子(こ)は育(そだ)つの意味 実の親がいなくとも、子はどうにか成長していくものだ。 世の中のことはそう心配するほどのこともないというたとえ。
↑はgoo国語辞書より引用です。
世の中、地域の人々がむかしほど容易には信用でき難くなっていることに原因が有りますよね。
明らかな社会的なマナー違反や迷惑行為を子供がしていても下手に注意すれば、注意した子の親から逆にクレームが来ると言いますし、
私は親が自分の子供意外には無関心というのもいかがなものかとは思ったりするのですがね。
ですが、『子供たちの同級生の親』、など身元のハッキリしている人ならともかく、全く知らない人に子供たちが話しかけられたとなると、実際には不安にはなったりしますね。
うちは有ったんですよ、娘が通学途中に知らない人に『アメをあげる』と話しかけられたって事が。
で、その『アメをあげる』って行動を何人にも何日か続けた結果、どうやら近所男の人であったらしいのですが警察に注意されたようでしたね。
これが、同じような通学途中の子供に『アメをあげる』って行動であっても、女の人であればこわいと思わないのでしょうか?
身なりのもんだいなのでしょうか?
年齢層の問題なのでしょうか?
どれにしてもやっぱりこわいように思います。
思うのは。奥さんの実家などに行くと農業を生業としているので、人手が足りないときは近所の人の手を借りるし、作業道具の貸し借りも頻繁なようです。仕事に限らず、何かあればみんなで助け合って、といったご近所ネットワークが強固に形成されているので、ご近所一帯のみんなに対しての信用の度合いが非常に高いように思います。
地域の人がみんな知っている人であるなら(誰でどんな人かわかれば)、子供が話しかけられたとかの多少の事などはこわくは感じないのかと思ったり。
子供が好きな私の伯父さんは、近所の子が家の前を通ったさいによくあいさつするらしいのですが、伯母さんに『今は時代が違うんだからヤメナサイ』といましめられていました。
私にしてみれば、伯父さんがすごくいいひとなのを知っているのでそれまたちょっと悲しくなる話だなとおもってしまいましたが。
話しかけられた子の親の視点で考えたなら、子供が知らない人に話しかけられたと、やはりこわいと感じるかもしれませんね。
結論的には
地域の人同士の結びつきの希薄さが『知らない人』をふやし、結果周囲の人に信用が置きにくくなっているのかなと思いました。
本当に挙動があやしい人物などの情報伝達もご近所ネットワークが強固に形成されていればスムーズに行われそうですしね。
ちょっとした地域の集まりおろそかにも出来ないですね。
知らない他人が急に我が子に関わろうとするのは意図がわからないだけに怖いと感じるって事なんでしょうね。
子供達の夏休みが始まりました(集中できる時間を上手く作って習慣化したいところです)
長男、小6にしてみれば小学校最後の夏休みです。
宿題なんかは、それなりに自分で出来るんので付きっきりでなくても良いのは助かるのですが、あの子の場合、長期の休みになると、日がな一日YouTubeとゲームばっかりになりはせんかと気になるところです。
小6ともなるとけっこうな反抗期具合なので、距離感の取り方は難しく思うところですね。
親の『こうして欲しい』を 強く言っても反発をまねくだけ。
なら、長男の言い分は、一回聞いて受け止めて理解を示しつつ、あくまで『こうしてはどうか?と』提案するくらいにかかわり方をとどめないと、自主性、自立心を損ねるのかなと思ったり。
宿題なんかは、ほとんど手がかかりませんし、必要があるとすれば自由研究くらいですから良いのですがね。
中学受験するわけではありませんし、基礎学力だけはきちんと身につけておいて欲しいと思っていますが。
勉強以外でも読書にせよ調べものにせよ、興味を持ったものに集中して取り組む時間を作って欲しいと思いますね。
長女に関しては。
平日は放課後等デイサービスを利用予定で、基本的に外出行事などもたくさん企画してくれているので行くのを楽しみにしていて、親としては感謝です。
夏休みなど長期の休みで兄妹で一緒にいる時間が長くなるとケンカも増えがちなので娘が楽しんで過ごせる場所が有るのは本当に助かる限りです。
そして、 平日の日中放課後等デイサービスを利用する事を考えると宿題をいつ終わらせるかが悩みどころであったり。
『行く前と帰ってからの短時間集中』の一択なんですがね。
長期休みで、集中できる時間作りが上手くいかないと、崩れた習慣をあとから修正する事は本当にむずかしいし、子供達自身にも負担を強いるので集中できる時間を上手く作って習慣化するようにって事だけは、なんとかうまく二人とも誘導したいところです。